兵庫県姫路市本町68-44
第10師団司令部の隣には、大正11年〜昭和4年築の建てられた師団長官舎が現存する。終戦後、進駐軍の宿舎として接収された後、カトリック淳心会に払い下げられ、同教会の施設として使用中。予め、施設見学の旨のアポを取れば見学可能。
屋根の折れ方、この屋根の折れ方も城郭を意識したのかも。
全周を取り巻く基礎の石貼部分、石の貼目の模様は姫路城の石垣を思わせる。
玄関扉は戦後のもの
師団長官舎は洋館(公務室・応接室など)と和館2階建(居室)から成る。和館は戦後、老朽化に付き取り壊された。洋館部分は2階建てにみえるが平屋デス!
戦後、北方向に1室分増築された。
他、塀や門柱も含めて概ね、往時のまま。
では入ります(・∀・)
①玄関・玄関ホール
建具は往時のもの
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②会議室
床材など大半が往時のもの
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短めの廊下
増築した建屋(幹部クラスの宿泊施設)へつながる。
かつては裏口があった。
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④便所・控え室
控え室へ
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④控えの間の応接室
床材のつくり、斜め貼りのデザインが珍しい。
テーブルと椅子も師団長官舎の当時のもの。
テーブルクロスを取ってくださった(・∀・)
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⑤⑥師団長執務室
現在は理事長室
⑤和館への渡り廊下
現在は物置
⑥執務室
かなりプライベートな空間なので公開は最小限に。。。
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屋根裏へ!
この建物、2階建てに見えるけど平屋なんですね。。
屋根裏には増築部分から入ります
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裏庭
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では帰りますか。
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姫路に置かれた陸軍第10師団司令部。関連する建築物が百棟余り建てられたが、昭和20年6月22日と7月3日の2度の米軍空襲を受け、多くが焼失。戦後の再開発等で現存する建物は2棟のみ。ひとつが現在、市立美術館として活用されている赤煉瓦の倉庫(姫路陸軍兵器支廠→大阪陸軍兵器補給廠姫路分廠)、もうひとつが淳心会本部に転用された師団長の官舎。
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姫路陸軍兵器支廠
内部は激変しているので外観のみ
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第10師団
明治10年:歩兵第10連隊第1・第2大隊が姫路に駐屯
明治15年:歩兵第10連隊、3大隊が姫路に集結
明治17年:第8旅団司令部設置
(明治21年:師団司令部条例で第10連隊は第四師団に)
明治31年:第10師団、姫路に設置
姫路城の城郭内に師団の主要施設が設けられ、歩兵第10連隊、歩兵第39連隊、騎兵第10連隊、輜重兵第10大隊も駐屯した。大東亜戦争の終戦まで、主だった殆どの戦線に出兵している。
大東亜戦争開戦後は関東軍の直属兵団として、満洲帝国チャムスに駐屯していた。昭和19年7月、第10師団主力(尚武集団)も南方派遣が決定され、第14方面軍の戦闘序列に入りフィリピンのルソン島に投入(比島方面軍司令官は山下奉文大将)。バレテ峠、サラクサク峠で約半年に渡る持久戦を展開、衆寡敵せず壊滅状態となり終戦を迎える。第10師団の歩兵第39連隊(建武集団=姫路)は、白兵戦やゲリラ戦が得意な部隊ゆえ、ルソン島パターン半島〜ナチブ山で奮戦して終戦を迎える。
出典:国土地理院 1947/11/01(昭22) USA R552-3 1、抜粋
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