[蒼柴神社]奉納魚雷・浮標水雷缶

新潟県長岡市悠久町707(悠久山公園内)

 

 

社務所の裏手、北越戊辰戦で戦死した長岡藩士、西南戦争で戦死した旧長岡藩士の墓石がならぶ一画に、機雷と浮標水雷缶が置かれている。

 

 

元々、山本五十六元帥が自身の母校(県立長岡高校の前身、旧制長岡中学)の校長が、「教育参考品トシテ」下付願を出し、海軍省から下付されたもの。寄贈後は校門付近の校庭に置かれていた、とのこと。

 

 

戦後、魚雷・浮標水雷缶は埋められ、校舎建て替え時に掘り出され、パチンコ屋に寄贈。パチンコ屋が閉鎖された際、蒼柴神社に寄贈され、社務所の裏に置かれた。

 

経緯については「悠久山蒼柴神社の魚雷と機雷の由来に関する調査」が詳しい。

 

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45センチ魚形水雷43式(頭部共)

口径:45センチ、全長5.19メートル、重さ663キロ

星型四気筒

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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浮標水雷缶

 

直径110センチくらい

 

 

 

 

 

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旧長岡藩主牧野家霊廟

悠久山公園内に鎮座する蒼柴神社の本殿南にある。昭和58年、東京都港区三田4丁目にあった牧野家の菩提寺(済海寺)から2代〜11代の墓が移設された。済海寺は初代藩主・牧野忠成が創建した寺だった。

 

 

 

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