[沖縄戦]シッポウジヌガマ(県庁警察部壕)
那覇市真地(識名霊園)
那覇市に隣接する真和志村(当時)、琉球石灰岩の識名台地の下にある自然壕。昭和20年4月25日にこれを一部改造して県庁・警察部の防空壕になった。
全長は約130メートル程。壕の入り口は高さ1.5m、幅1mくらいですが、すぐに100平方メートルほどの広い空間になるそうだ。壕内には竈や井戸、居住部屋=2段ベッドにトイレもある。県知事や警察部長室もあり畳敷きだった、とか。
沖縄戦の最中の4月27日、県内17市町村長を集めた会議はこの防空壕で行われた。5月27〜28日に首里にいた第32軍司令部が摩文仁撤退することに従い、島田県知事と荒井警察部長、県庁・警察部壕の職員も摩文仁向けて出発した。
首里陥落直前の5月25日、内務省宛に「60万県民只暗黒なる壕内に生く、此の決戦に破れて皇国の安泰以て望むべくもなしと信じ、此の部民と相倶に敢闘す」と打電している。
島田県知事と荒井警察部長は摩文仁の壕を転々としたのち、6月26日を最後に消息を絶った。
県庁警察部壕は長らく放置され、ゴミ捨て場になっていたが、二十数年前に県庁警察部壕とわかってからはちゃんと管理するようになった。
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識名霊園には、巨大な亀甲墓(琉球国時代の那覇在住士族の墓)、家の形をした家形墓や軸石墓(戦後に建てられた墓)などが識名台地の林立している。
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