[呉海軍]軍需部倉橋島燃料置場②桟橋や地下道
倉橋島燃料置場は呉鎮守府の重油の貯蔵基地で、江田島周辺に4ヶ所の燃料置場が設置された。
呉海軍軍需部は昭和6年開設の広燃料置場を、海軍最大の燃料置場にするために拡張工事をしたため、土地が狭い倉橋島燃料置場は昭和19年半ば辺りから縮小され、終戦時の重油槽は最大36基から6基まで削減された、ようだ。
出典:国土地理院 1947/03/18(昭22) USA M124 43
終戦後は農地や企業用地として返還され、現在は油槽は消滅した模様。
アジア歴史センターC08010917100「倉橋島燃料置場の図」
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桟橋
大日本者神國也様のブログによれば、『油槽船が着岸し重油の充油、給油を行う施設で、給油用の2噸起重機がありました』とのこと。
訪れたのが日曜日だったためか、柵もロープも注意喚起もなく、犬の散歩、釣り客がフツーに敷地内に入っていた。というわけで私も探索。
「倉橋島燃料置場の図」をみると、桟橋の手前の広場には、給油用の2トン起重機など、様々な設備があったようだ。
その様々な設備は、今は繋留用のボラード(係船柱)と護岸の石積み以外は現存せず。
繋留用のボラード(係船柱)
桟橋へGO(・∀・)
階段は左右に1ヶ所づつ、ある
戻りますか(・ω・)ノ
桟橋を出て、様々な施設があった広場から、県道286号線を渡り山の山麓をみると、地下壕らしき穴がある。
これは『戦後、海岸に道路ができるまで周辺住民の通路として使われていたそうです』とのこと。軍事遺構ではないが、軍規格の素掘りの隧道なので記す。
全長100メートル程で貫通している。
反対側に出てみたが視界は効かず。
では戻る。
廃棄された2槽式洗濯機との対比で、この隧道の大きさがわかる。
桟橋と手前の広場がみえる
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番舎
いわゆる管理者の宿舎
特徴的な門柱もある
参考資料
倉橋島「倉橋町史 通史編」
アジア歴史センターC08010917100「倉橋島燃料置場の図」
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