[呉海軍]軍需部倉橋島燃料置場①水源地
倉橋島燃料置場は呉鎮守府の重油の貯蔵基地で、江田島周辺に4ヶ所の燃料置場が設置された。
①飛渡瀬燃料置場(大正15年):能美島(大柿町飛渡瀬)
②鹿川燃料置場(昭和3年):能美島(能美町鹿川)
③吉浦燃料置場(昭和10年):呉市吉浦町
④倉橋島燃料置場(昭和13年):倉橋島(呉市倉橋町室尾)
倉橋島燃料置場は段階的に拡張され、昭和18年では36基の重油槽(東11基/西25基の合計36基)と1基の地中式重油槽が完成された。燃料置場防衛のために室尾の砲台山(亀ヶ首防空砲台)と西宇土(大向防空砲台)に高射砲台が、砲台山(亀ヶ首防空砲台)の東の鹿島・西の海越島に探照灯(聴測照射所)が配備されていたようだ。
呉海軍軍需部は昭和6年開設の広燃料置場を、海軍最大の燃料置場にするために拡張工事をしたため、土地が狭い倉橋島燃料置場は昭和19年半ば辺りから縮小され、終戦時の重油槽は最大36基から6基まで削減された、ようだ。
出典:国土地理院 1947/03/18(昭22) USA M124 43
終戦後は農地や企業用地として返還され、現在は油槽は消滅した模様。
水源地の貯水槽戦後、油槽跡地の耕作地の農業用水として利用されている。2018年の西日本豪雨災害により貯水槽周辺の山崩れで被災したが、2023年に復旧した。
*
水源地
妖怪酒隠し様(Twitter @SAKE_KAKUSHI )で、当該水源地のレポートを拝読。
いつもありがとうございます。
そして(・∀・)
というわけで、再訪ですよー!
相変わらず2屯車がギリギリ通れるくらいの道幅。
土留めの石垣は残っていた。
大規模な土砂崩れでした(*_*)
ひ〜ぃぃぃぃぃ(>o<)
貯水槽下の濾過池と配水池
なんとか残存の模様
おおおおおお〜
見事なフッカーーーッ!
デカッ(゚Д゚)
重油槽は鋼製のため、太陽光線で表面やタンク内の温度が上がってしまう。特に夏の昼は重油槽の表面に海水を撒いて温度を下げ、その海水の塩分を落とすため水源地から引いた真水でタンク表面を洗った。
戻りますか!
アジア歴史センターC08010917100「倉橋島燃料置場の図」
*
重油槽
影も形も残っておらず。基礎部は水源地に近い方のものは石組を確認できる。西の重油槽群はコンクリートの痕跡は見つけられなかった。
アジア歴史センターC08010917100「倉橋島燃料置場の図」
東の重油槽群はGoogle Mapでみるとコンクリートの痕跡あり。
ただ、訪問時は所有者がおらず探索は断念した。
参考資料
倉橋島「倉橋町史 通史編」
アジア歴史センターC08010917100「倉橋島燃料置場の図」
★目次(陸軍①)★★目次(陸軍②要塞以外)★★目次(海軍)★★目次(その他)★