コンクリート船の堤防

 

大東亜戦争末期の昭和19年秋以降、海軍省艦政本部逓信省海務院が、別々にコンクリート製の自航(エンジン付き)貨物船被曳航貨物油槽船を建造した。

 

戦後、海軍所属の2隻が広島県呉市安浦町の安浦漁港の防波堤になった。逓信省海務院所属の1隻は、広島県呉市音戸町の坪井漁港の防波堤となる。所属先不明で半壊状態で放置されているコンクリート船もあり(山口県笠戸島)、日本で残存するコンクリート船は計4隻のようだ。

 

コンクリート船の詳細については弊ブログ『コンクリート船:武智丸』に書いたので割愛。

 

海軍艦政本部の設計建造で就航した武智丸(エンジン付き)は5隻(諸説在り)が就役したが、第1武智丸と第2武智丸の2隻が防波堤として残存した(他2隻は沈没と廃船)。

第1武智丸:自航貨物船(主に石炭)。昭和19年6月15日に第一武智丸と命名されて進水、同年6月23日に竣工。エンジン故障で呉市警固屋付近で放置された。昭和25年2月から安浦漁協の防波堤になる。

 

第2武智丸:自航貨物船(主に石炭)。昭和19年9月20日竣工。度々敵機攻撃や機雷の被害を受けたが復活している。戦後、大阪商船が払い下げを受けたがまもなく廃船となり大阪港に放置された。昭和25年2月から安浦漁協の防波堤になる。

 

第3武智丸:自航貨物船(主に石炭)。昭和19年11月21日竣工、昭和20年7月10日に瀬戸内海の小豆島沖で触雷して沈没

 

第4武智丸:被曳航油槽船?自航貨物船?昭和20年9月17日に神戸沖で、台風で座礁したのちに廃船

呉海軍工廠に係留されていた2隻。

船名不明(広島県呉市音戸町坪井漁港逓信省海務院所属。昭和28年に払い下げられ防波堤として沈設。

 

船名不明(山口県下松市笠戸島:昭和26年の台風で座礁、半壊状態で留まる昭和26年の台風で座礁、半壊状態で留まる。

 

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坪井漁港のコンクリート船

 

逓信省海務院の設計、建造(日本土木造船株式会社?)によるもの、と伝えられる無人被曳航油槽船。呉海軍工廠に係留されていたものを、昭和28年に払い下げられ、坪井港の防波堤として沈設された。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、2017年10月の撮影分。

以下、2013年5月の撮影分。干潮時に採訪した。

 

 

 

 

 

 

 

 

船尾

 

 

 

参考資料

奥本剛「呉・江田島・広島戦争遺跡ガイドブック」

日本船舶海洋工学会講演会論文集第26号「コンクリート貨物船武智丸」

 

 

 

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