[沖縄戦]沖縄方面根拠地隊司令部壕(海軍司令部壕)④

沖縄県豊見城市字豊見城236

 

当地へは何回か訪問しているので、撮影時期が異なる写真が入り交じっています

 

 

司令部壕

基本、素掘りで杭木(支保工)で崩落を防いでいるが、地盤が頑丈なため崩落はほぼない。コンクリート打設されているのは、作戦室・幕僚室・司令官室・発電機室とされる3室のうちの2室のみ。作戦室・幕僚室・司令官室のみ、漆喰塗りも施されていた。司令官室などは畳敷きだった。

矢印の順に進む

 

 

 

狭い通路、左右にベッド(寝台)のような掘り込みがある

 

 

 

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下士官室

2部屋あり

西出口に近い方の部屋

 

西出口に遠い方の部屋には、公開に際し、2段ベッドを復元したようだ。こんなショボい木組みじゃなく、ちゃんとつくって欲しいんだな。英霊に失礼だ。

 

 

 

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西出口に近い方の下士官室から、東方向に「未公開」の細い通路が延びている。この狭い通路は、北出口と南出口をつなぐメインの通路に伸びている。

 

 

 

未公開の通路から、西出口に近い方の下士官室をみる

 

 

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北出口と南出口をつなぐメインの通路

幅2.5m×高さ2m

 

非公開部分

 

遺骨収集の作業中でした!

 

土砂流入か人為的か不明だが、坑道内の軽く2/3ほどが土砂で埋まっている

 

遺骨と共に、大量の遺留品も発掘されている

 

 

 

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北出口

玉砕前後、海軍兵士はこの北出口から出撃した。

戦後にコンクリート打設。

昭和45年の一般公開時、客はここから出入りした、そうだ。

 

 

 

外からみる

 

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北出口と南出口をつなぐメインの通路に戻る。

用途不明の凹み(左側)

 

 

 

 

北出口と南出口を結ぶメイン通路から、幕僚室と司令官室の間の通路をみる。通路のコンクリート打設は戦後のもの。往時は素掘り+杭木(支保工)。

 

 

北出口と南出口を結ぶメイン通路に戻る

通路のコンクリート打設は戦後のもの。往時は素掘り+杭木(支保工)。

 

南出口へ

 

 

南出口を外からみる

 

往時は南出口が主出入口だったようだ。

素掘り、コンクリート打設なし。

 

昭和28年3月当時、南出口は崩壊していた。

 

 

参考資料

南西諸島方面電報綴

八原博道「沖縄決戦」

田村洋三「沖縄県民斯ク戦ヘリ 大田實海軍中将一家の昭和史」

旧海軍司令壕(一般財団法人 沖縄観光コンベンションビューロー旧海軍司令部壕事業所)

 

 

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