[串良海軍航空基地]地下壕第一電信室

鹿児島県鹿屋市串良町有里4963

 

串良基地から飛び立った特攻機の隊員が、突撃前に送る電信を受信していた地下電信室壕。40名の電信員が航空機からの電信を受信していた。

 

 

 

 

出入口部分のコンクリート製爆風避けが重厚。

反対側の出入口は土塁が爆風避けになっていた。

 

 

 

中に入ります

 

 

写真右が地下壕の本体(通信室)、左が発電機などが置かれた細長い廊下につながる

 

内部は電信室の1部屋のみ

 

特攻機のうち、単座機は電鍵を押しつづけて信号を送信。その信号が途切れた時が突入時間として記録された、とのこと。複座機は後部座席の通信兵が識別信号を送った。中には最後の電文(モールス信号)メッセージを発した特攻機もあった。

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敵艦発見。これから突っ込む

最後のメッセージは実は様々だったようだが、1番多かったのが「お母さん」だった、とのこと。

 

 

 

 

電信のための機材(発電機や変電気)などを収納する細長い部屋

 

通気孔

 

 

退出

 

 

 

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こちらは反対側の出入口

土塁が爆風避けになっていた。

 

 

 

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串良海軍航空基地

昭和19年に部分完成。

滑走路は1,300m×50mと1,500mx50m(1,500mが2本説あり)。1,200m×50m(未完?)。いづれもモルタル敷。

 

昭和20年4月6日からの菊水作戦の主要基地となる。様々な地域で編成された特攻隊が串良航空基地に集まり、艦上攻撃機天山や97式艦上攻撃機で特攻出撃した。同年5月24日以降は練習機白菊での特攻が5回行われ、通常の特攻は6月25日で終了した(その後2回は天山での夜間雷撃)。神風特攻隊(全26隊)363名、攻撃隊202名の合計565名がここから沖縄方面の敵艦船攻撃に向かった。

 

串良海軍航空隊

昭和19年4月1日:串良海軍航空隊開隊(第18連合航空隊に編入)

任務:整備通信等の教育を担当

昭和20年3月1日:第22連合航空隊に編入、艦爆隊の基地になる

任務:予科練教育/作戦

昭和20年7月10日:解隊