八戸要塞(通称):笹子地区の小銃掩體被覆用コンクリート枠   

 

出典:新編八戸市史近代資料編戦争(付図)より抜粋

 

(詳細な地図だが、塹壕もトーチカも全て同じ赤丸で記されているため、コンクリ系構造物目当てで探索すると情報が少ないだけにつらいものがある。構造物の多くは私有地内にあり、出入口封鎖、破壊、埋没等により、往時の姿で内部進入可能なものは少ない)

 

八戸市の旧南郷村。是川と天狗沢、笹子と南北に抜ける谷間の要衝。笹子地区は砲台こそないが、コンクリート製トーチカや掩体などが多いところ。だがここも開墾、戦後の鉄需要での破壊、地主の考え方などで、多くの遺構が消滅している。笹子地区も殆ど残っていない。

 

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小銃掩体被覆用コンクリート枠

地元では「タコ壺」とか「散兵壕」とか呼ばれているもの。八戸要塞(通称)では、これが多数造られたそうだ。八戸の山間は冬は積雪があるし、そもそも石灰岩鉱山があることから、コンクリートは潤沢に使えたのかもしれない。

 

私のtwitterでこれを紹介したところ、「小銃掩體被覆用コンクリート枠が制定名称です。昭和19年4月築城素質標準設計図」と教えていただきました!感謝です(・∀・)

 

是川地区は案内人の方がいたので、長時間お待たせするわけにも行かず、掃除できなかったが、ここは単騎探索だったので簡単な掃除をしてみた。県道沿いにある1人用トーチカ(小銃掩體被覆用コンクリート枠)。

 

 

円筒を縦に半割した形状。

地面に掘った、戦闘用の「1人用トーチカ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、笹子地区にはもうひとつ、1人用トーチカ(小銃掩體被覆用コンクリート枠 )があると聞いていたが、こちらは地主様の意向で消滅してしまったようだ。

 

 

 

あーーーーあ。

 

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概要

昭和17年6月のミッドウェイ海戦で、日本軍は大敗。以後、太平洋地域の制海権・制空権を失っていく。昭和19年7月に絶対国防圏の中核拠点のサイパン島が陥落する。

 

昭和19年5〜7月、南西諸島・伊豆諸島の他、本土の沿岸防衛における戦備強化として、八戸平野・鹿島灘正面・房総地区(九十九里浜)に重点を置く決定が成された(皇土防衛作戦要綱/本土沿岸築城実施要項)。本土決戦の準備のための築城は、同年10月末までに既成、同年年末までに完成させるとした。

 

出典:八戸地域の戦時遺構に関する研究、P.24より抜粋

八戸地区には国内有数の石灰石鉱山があり、セメント・鉄鋼・アルミ生産など軍需品の産地でもある。昭和12年に「国土防衛工業立地地域」に指定されている。八戸以北は上陸に適した砂浜の海岸線が点在、仙台より防衛力が低く人口も少ない。米軍(連合国)に八戸地区が取られると、八戸市高舘にある陸軍八戸飛行場から首都東京への空襲(爆撃)が可能になる。

八戸地区は東部軍が管轄しており、東部軍司令官は「昭和19年10月13日に沿岸築城を下令、工事完了は昭和20年1月末日」とした。57師団が築城に従事した(昭和20年3月中旬から独混95旅団→157師団→308師団が担当)。

・是川・館・島守地区:コンクリート製(重機関銃等)防御陣地の構築 ※現存

・是川(と天狗沢):89式15センチ加農砲×2門 ※現存

・天狗沢:対戦車兵器の仕掛け

・中居林地区:28センチ榴弾砲×1門 ※消滅

・鮫:斯式12センチ加農砲×2門、野砲2門  ※消滅

・蕪島:(海軍)魚雷発射施設  ※埋没

大本営は昭和20年2月に関東地方・東海地方・九州地方を本土における作戦準備の重要拠点に示し、同年3月発表の国土築城実施要項では「具体的な計画を示しながら同年7月に全陣地の骨格を概成、10月までを目処に完成せよ」と通達している。

 

出典:八戸地域の戦時遺構に関する研究、P.24より抜粋