[下関要塞/昭和期]角島砲台①砲台と弾薬庫

 

着工:昭和14年7月1日

竣工:昭和15年9月26日

備砲:ラ式15センチ加農砲×4門

設置標高:60~63.5メートル

主目的:角島西北方海面に於ける敵艦船の航行を妨害、敵我が輸送船の海上交通を援護

 

出典:佐山二郎「日本陸軍の火砲 要塞砲」p.418、抜粋・加工

 

佐山二郎「日本陸軍の火砲 要塞砲」p.417を要約すると、

『この15センチ加農砲は、支那事変(昭和12年7月)で占領した揚子江沿岸の江陰西山砲台から押収したドイツ・ラインメタル社製の基筒式固定法砲。押収時に検査した結果、わずか数発しか発射していない上に新型火砲だったので、大阪兵器支廠に送った。

 

昭和13年9月、陸軍兵器本部は陸軍技術本部に、砲の改修(閉塞機・固定砲床の新調、96式海岸測遠機と関連する照準器の装備)を委託した。完成予定日は同年2月20日で98式海岸測遠機を採用した。同年6月に下関要塞角島砲台に4門とも備砲完了した』

 

昭和20年2月下旬、戦況を鑑み、4門全ての砲の移設を決定(キ号演習)。杖坂山(=長門二見)の第5中隊102名、玄海島の第4中隊102名が穹窖砲台(洞窟砲台)の工事を開始する。だが同年5月下旬、工事を中断して火砲は杖坂山から吉見玄界島から大休庵へ移設の新規工事に着手した。

 

 

 

砲座以外の遺構は比較的良く残っている。

 

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砲座①

 

激しい藪(。・ω・。)

わかりませーーーーん

 

 

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弾薬庫(砲座①用)

 

 

 

 

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砲座②

道路工事により消滅(×_×)

 

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砲座③

たぶん、このあたり (>o<)

 

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弾薬庫(砲座②③用)

すんごい藪を掻き分けると出現したが、私有地の柵などがあり弾薬庫には降りられず。

 

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砲座④

たぶんこれ、面影あり(・∀・)

 

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弾薬庫(砲座④用)

農作業中の所有様の許可を得て進入いたしました!

 

どの弾薬庫も金庫式扉が付いていたが、無残に毟り取られている

 

前室、奥に砲側庫と弾薬庫(こちらも金庫式扉付き)が並列している

 

 

 

 

 

 

各砲台と弾薬庫、終わり

つづく