[下関要塞/昭和期]大島砲台①砲座

 

着工:昭和10年5月1日

竣工:昭和11年11月20日

備砲:45式改造固定15センチ加農砲×4門

設置:標高148m/150.63m

 

任務:蓋井島砲台・白島砲台・小呂島砲台と連携し、玄界灘と響灘における敵船舶の坑道妨害、我が海上航路を掩護するに在り(←現代本邦築城史より)

事実上の廃止:昭和20年2月

 

連絡網:海底ケーブルで蓋井島砲台経由で下関要塞司令部、海底ケーブルで壱岐要塞小呂島砲台と直通。

 

福岡県宗像市神湊湊から北西6.5キロ沖合、筑前大島(宗像大島)の北、標高150メートル前後の平削地に大島砲台が築城された。下関重砲兵連隊第2大隊第6中隊が担当。

 

戦況が著しく悪化、本土決戦が現実的になった昭和20年2月以降、下関要塞守備隊は再配備計画に基づき、砲の新設・移設作業にとりかかった。

 

具体的には筑前大島砲台に配備されていた45式改造固定15センチ加農砲4門のうち、2門が「対上陸戦」に備えて九州本土の垂水峠の穹窖砲台に移設。残る2門は大島内に新設された津和瀬穹窖砲台へ移設された。

出典:国土地理院 1960/05/26(昭35) KU601YZ C3 41、抜粋・加工

 

現存する遺構は、砲座4ヶ所、弾薬庫①と④、弾薬庫②③と観測所、掩燈所、発電機室(電燈所)。いづれも往時の雰囲気をよく残している。

 

 

*

砲座

4砲座とも直径7.9m×深さ1.5mとほぼ同型。

いづれも砲側庫(砲側弾薬庫)は設置されていない。

 

砲座①②③は整備されている

 

 

出典:花田勝広「北部九州の軍事遺構と戦争資料 宗像沖ノ島砲台と本土決戦」、P.83より抜粋・加工

 

1階=弾薬庫②③、2階=観測所

弾薬庫は東西に出入り口を有し、砲座②=2部屋、砲座③=2部屋が割り当てられている。

 

 

中央に金庫式扉が付いた弾薬庫が2部屋(砲座②と③)、その両側に扉の無い砲側庫、通路。これが左右対称に配置されている。

 

通路ー砲側庫ー弾薬庫②弾薬庫③ー砲側庫ー通路

 

 

 

では2階の観測所へ

 

 

 

 

98式砲台鏡が設置されていた、とのこと。

 

 

 

 

 

*

砲座④と弾薬庫④

あまり整備されていない(これはこれで良い)

 

弾薬庫④

弾薬庫①と同じ構造

 

 

 

*

発電機室

右上は掩燈所、左下は発電機室

藪がひどくて辿り着けず(。・ω・。)

 

 

*

掩燈所

ス式150センチ固定式射光機を格納していた。

 

 

 

 

 

 

掩燈所から照明座①への道

 

照明座①

 

照明座①から②へ

 

 

*

掩燈所から砲台群をみる

 

兵舎関連施設は戦後、牧場の建設で消滅した。

 

色々、見落とし、写真撮り忘れがあるので近いうちに採訪せねば。