[下関要塞/昭和期]垂水峠穹窖砲台

 

福岡県宗像市と福岡県遠賀郡岡垣町の境にある垂水峠。この峠から湯川山に登る登山道の尾根斜面(標高130〜140メートル)に垂水峠穹窖砲台(洞窟砲台)が構築された。

 

 

 

 

戦況が著しく悪化、本土決戦が現実的になった昭和20年2月以降、下関要塞守備隊は再配備計画に基づき、砲の新設・移設作業にとりかかった。具体的には筑前大島砲台に配備されていた45式改造固定15センチ加農砲4門のうち、2門が「対上陸戦」に備えて九州本土の垂水峠穹窖砲台に移設。残る2門は大島内に新設された津和瀬穹窖砲台へ移設。

 

昭和20年2月下旬のキ号演習(砲台移設)当初、垂水峠ではなく地島の泊にて工事にて穹窖砲台の築城工事に着手(第7中隊103名)。だが同年5月下旬、何らかの理由で工事を中断。ケ号演習(海岸陣地帯構築作業)により、設営部隊は垂水峠に移動して、新たに穹窖砲台の築城工事を開始した。垂水峠穹窖砲台の工事は順調に進んでいたようで、備砲直前に終戦を迎えている。

 

 

砲台は2門あるが、どちらも横幅が広く天井が低めの蒲鉾型。ほぼ同じサイズの同型。戦後の鉄筋泥棒による破壊、地盤が良くないゆえの土砂流入などで、状態はあまりよくない。

 

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1号砲台

砲室内部は幅6m×高さ6.4mの長方形だが、最奥で狭まるため台形。コンクリートの厚さは20センチ程度。

 

下部(砲床)は埋没。最奥にあるべき坑道はない(未完成?)

 

 

 

 

 

 

 

 

2号砲台へ。

間隔は30メートルくらいだが、2号砲台は1号より若干標高が下がったところにある。

 

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2号砲台

砲室内部は幅6m×高さ6.3mの長方形だが、最奥で狭まるため台形。コンクリートの厚さは20センチ程度。

 

下部(砲床)は埋没。最奥にあるべき坑道はない(未完成?)

 

 

 

最奥は岩盤にぶち当たっている

 

 

 

「下関重砲兵聯隊史」の記載では、筑前大島砲台の砲2門は、第56軍隷下の第145師団に配属され、同師団がこの垂水峠穹窖砲台(洞窟砲台)を構築した、と書かれている(要約)。