[陸軍大刀洗北飛行場]掩体壕
福岡県朝倉市筑前高上937-3
日本陸軍では4番目につくられた大刀洗飛行場は、大正8年(1919年)に完成している。特に整備された滑走路はなく、飛行区画(1,300mx1,500m)内で離発着する感じ。
昭和19年3月着工・昭和20年2月竣工の大刀洗「北飛行場」は重爆撃機用の飛行場。北飛行場が運営されたことで、従来の大刀洗飛行場は「南飛行場」と区別された、らしい。
大刀洗飛行場に関しては様々な資料があるので、説明は割愛。
北飛行場は1,500mx60mのコンクリート敷滑走路、約1キロの副滑走路兼誘導路があり(長さ・幅は諸説あり)、有蓋掩体壕もつくられた。今回取り上げる北飛行場の「高上の有蓋掩体壕」は、南・北の両飛行場で唯一現存するもの。高上はタコエと読む。
民家の倉庫として使われていたが、筑前町が平成28年10月に買い取った。筑前町立戦跡保存公園というのにするらしい。運良く前所有者様が「町が買い上げるからってサ、追い出されたけど耐震がなんとか、とか、放置したままなんだよね」と文句をいいつつ案内してくださった。
『新装改訂版 九州の戦争遺跡』P.68に出てくる方だそうです。
「大刀洗空襲を語りつぐ会」の方が所有者に聞いた話によると、壕を造るときは、まだ麦が植えられた状態の畑を半強制的に取られ、戦後払い下げの時は3万円も支払わされたという。壕の上には1メートル程度の土が盛られ、木が植えてあったので、土の除去が大変だったとのことである。
有蓋中型掩体壕
前部:高さ7.3m×幅44m
後部:幅4.4m
コンクリート厚:60センチ平均
掩体の大きさから四式重爆撃機「飛龍」が格納されていた?
前部の庇は落ちている?
元々無い?
大刀洗で重爆といえば陸軍特別攻撃隊飛行第62戦隊。
四式重爆撃機「飛龍」を改造して桜弾(直径1.6m重さ2.9tの対艦用800キロ大型爆弾)を2発搭載した重爆特攻機を思い浮かべる。桜弾が大型ゆえ、機材を軽量化のために一部に木板を使い、機関銃はなく、基本的に片道燃料、乗員4人で特攻させた。重爆の改造を大刀洗で行い、北飛行場から鹿屋基地へ、鹿屋基地から沖縄(特攻)を目指した。
出典:太刀洗平和記念館