[南大東島守備隊]陸軍本部壕(山下洞)

沖縄県南大東村新東

 

島の北東部、東は長幕断崖の内側が迫っているが、その山麓(標高約10メートル)に縦穴状のドリーネ(落込穴)があり、大東島守備隊(歩兵第36連隊)の本部はここの自然洞穴(鍾乳洞)を利用している。

 

 

 

出典:沖縄の戦争遺跡、P.296より抜粋・加工

 

『大東島戦時日誌』によれば、在所集落の西外れの具志堅洞の自然洞穴(鍾乳洞)を利用していたが、同年4月8日には「軍旗」を島の新東地区の通称・山下洞に移動させ、ここを核に一帯を秋葉山複郭陣地として4月末までに構築して主力に向けたとされる。

 

図①

 

ドリーネ全体を幅4m×長さ7m×高さ3mの石積みで補強がてら囲っている。

 

 

 

南東に向かって自然洞穴が延びている縦穴状の自然洞穴で、具志堅洞よりも更に直線的に下っていく。

 

図②

 

 

確認できる平坦面は5ヶ所。壕口に近い平坦面1 から一番奥でその先に湧水が続く平坦面5は直線距離では約20mだが、平坦面の空間はほぼ同一だし高低差もあるため、吹き抜けのような感覚(とても広く感じる)。

 

 

何よりも洞窟内の鍾乳石と床面を大規模に削って平坦地をつくり、レンガを含む石積みなど広範囲に使われている。石組は具体的には平坦面の縁辺(土留め)、石垣。

 


平坦面1が最も広い面積。

 

その西側にはレンガを縁石とした台形状の空間があり1辺が80センチのコンクリートブロックがある。このブロックは平面が凹形でその溝部の両側に2本ずつ計4本のボルトが確認できる。同じものがさらに約15メートル下った平坦面5の後背にもある。何らかの運搬道具などの可能性が考えられる。

 

平坦地1

 

平坦面1の東側の石積みが崩壊している。

本来はその下の平坦面3への階段(orスロープ)があったようだ。

 

図④から③をみる

 

 

平坦地3から4を見下ろす

図⑤

 

 

平坦地4から5へ

 

図⑥

 

平坦地5

平坦地1から5までの高低差は20メートルほどあるらしい。

 

では戻ります(^-^)/

 

 

 

 

図②

 

 

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南大東島の陸軍部隊は、歩兵36連隊(鯖江連隊)=大東島守備隊、その直轄部隊として大城隊を含む特設警備第211中隊、第32軍航空情報隊(電波警戒隊)、第28師団第2野戦病院の分院が置かれた。特設49・50機関砲隊は海軍配属下とした。

 

兵器は機関銃の他、37・47ミリ速射砲、13・25ミリ機関砲、41式山砲(連隊砲)、92式歩兵砲(大隊砲)が配備された。陸軍の兵士は約3,000名。

 

海軍は資料が乏しいが、沖縄方面根拠地隊大島派遣隊の計700名がいた、の説が有力らしい。第322設営隊412名も配備されたようだ。海軍の本部は大神宮山。兵器は高角砲12門、25ミリ機銃73門、8・12・14・15センチ各種野砲(平射砲・迫撃砲など)。海軍の兵士は約1,100名。

 

軍事拠点は最低でも100ヶ所設けられた。

 

大本営は1944年7月にサイパンが陥落したことにより、主陣地を水際から後退した防御しやすい場所とし、海岸線から内の主陣地にかけての縦深陣地とすること(島嶼守備要領/上陸防興協定(案))と決定したが、特に南大東島は水際陣地の構築の方を優先させている。

 

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ふるさと文化センター

 

 

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