足柄送信所

神奈川県足柄上郡山北町川西

 

昭和20年8月15日正午、ポツダム宣言受諾の海外送信を多摩送信所が担い、昭和天皇の終戦玉音放送の海外送信は神奈川県の足柄送信所(防空送信所)から世界発信された。※多摩送信所は現在の法政大多摩キャンパスの一角にあった。

 

足柄送信所は太平洋戦争末期、本土空襲に備えて軍部・逓信省等から、国際電気通信株式会社(KDDI)に対し、必要最小限度の送信機を確保するよう要請があった。

 

同社は「安全な場所で尚且つ必要な電力の供給、送信所までの有線のケーブルが容易に確保できて、真空管の冷却用の水の確保が出来る土地」の選定を陸軍省築城本部に委託した。

 

実地路査等の結果、耐弾式送信所として足柄送信所、隠蔽式送信所として多摩送信所の土地が適していると選定され、工事着工は昭和19年6月、竣工は同年11月。

 

足柄送信所は、旧御殿場線の複線化によって廃止になっていた箱根第5号隧道(旧上り線)が選ばれた。第5号隧道は神奈川県山北町の谷峨駅の北西約300メートルの場所にあり、谷ヶ峯山を貫き、酒匂川に近く、峰発電所が間近にあり電力の供給は容易との理由。

 

 

第5号トンネルの長さは275.53メートル×幅3.5メートル×高さ4.5メートル、岩盤の厚さ30メートル以上あるので爆弾にも耐えられるが、湿度も高く挾隘、機器類(20kw電話送信機1基、20kw電信送信機3基)を据え付けるとその前後は1人が辛うじて通れる程度だった。

 

 

 

 

 

(機器が置かれたとおもわれる跡)

 

(トンネル内の水滴から機器を守るために小屋組が施工された)

 

電源は峰発電所から3,300ボルトを引き込み、送信機の真空管を冷却するのに谷峨駅側(防弾用擁壁がある方)の隧道出口付近にある2つの貯水槽から冷却水をパイプで引いた。

 

(右端が冷却池)

 

隧道の谷峨駅側出入口には上から見てL字型の防弾用擁壁が設置された。

 

 

 

 

 

 

アンテナは隧道の上の高台(峰山)に60メートルの組立木柱を建て、新京・上海・欧州・南米・北米中部・ボンベイ・シンガポール等の方向に向けられた。短波(モールス放)で送信した。

 

(アンテナ群)

 

送信所事務所(と第一相沢川橋梁)

現在の国道246号の清水橋交差点と鮎沢川の間にある空き地らしい。

 

では戻りますか。