[豊橋海軍航空基地]③坑道弾庫・地下壕

 

豊橋海軍航空基地は、大崎町の遠浅の海にあった大津島・欠島・平島付近を埋め立て造成「八角形に成型した人工島=大崎島」に造られた。海軍かつ国内唯一の海上航空基地(飛行場)だった。

 

着港:昭和14年(1939年)

竣工:昭和18年(1943年)4月に完成

設備:1,500m×100mの滑走路3本、1,000m×30mの滑走路1本、800m×30mの滑走路1本,計5本(全てコンクリート敷設)

配備:第11航空艦隊豊橋海軍航空隊、陸上攻撃機60機(→翌年2月に航空隊は廃止され千歳に移転)

主任務:作戦

 

出典:国土地理院 1946/07/13(昭21) USA M192-A-5 50、を加工・加筆

 

飛行場の対岸、老津町や船渡町にはいくつかの戦跡がある。これらは昭和20年(1945年)5月頃から本土決戦準備のため、様々な設備を分散疎開させたもの。

 

航空基地の対岸、海軍橋の北に大崎城趾がある。この一帯の海辺の丘陵崖に坑道式の地下壕群がある。崩落しているモノ、開発で消滅したモノもあるが、残っていモノもある。大崎城趾に隣接する八幡社境内にも分散させていたようだ。大崎城趾には機銃陣地もあった。

 

海軍橋(陸橋)の南、この地域の崖は、航空基地のさらなる埋め立ての土砂として使われたため、遺構は現存せず。

 

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坑道弾庫

引渡書では「第2・5弾庫略図」と描かれたものが現存している。

該当弾庫でなかったらゴメンナサイ。

 

魚雷の頭部を格納していた?

 

たぶん第5弾庫

薄らと迷彩塗装が残っている!

 

 

 

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たぶん第2弾庫

ほぼ埋まっている

 

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丘陵崖は土砂崩れが頻発して感じ。切通なのか、地下壕が落盤したのか、道幅が広すぎる交通壕のようなものを散見する。

 

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八幡社

ここの境内にも分散物を収納してたようだ。

 

怪しげなモノ

 

今は水槽になっているが・・・・

 

消化不良であった。。