[津軽要塞]戸井線
着工:昭和11年
完成予定:昭和19年
中断/終了:昭和17年(未完)
日露戦争で軍事上重要な地域として、渡島半島(函館要塞/津軽要塞)〜津軽海峡を〜下北半島(津軽要塞及び大湊警部府の大湊軍港)が認識された。なお渡島半島の汐首岬と大間崎は17.5kmしか離れていない。
戸井線は、北海道函館市の函館本線五稜郭駅から戸井駅までの29.2kmを結ぶ計画だった未成の鉄道路線。津軽海峡の東を防備するために築城された「汐首第2砲台」への軍事物資及び兵員輸送、青函連絡船の輸送距離を短絡する目的で(対岸は青森県大間砲台)、昭和19年を完成を予定して、昭和11年に建設が開始された。
大間から先は大間線(大間~大畑)に接続するため工事を行っていたが、戸井線同様、昭和17年に戦局悪化や資材不足により2.8kmを残して工事は中断、終了している。
出典:【コラムリレー第8回】計画中止となった幻の鉄路「戸井線」
なお汐首第1砲台は、備砲は時代にそぐわないため昭和15年7月には撤去されている。
*
戸井線
五稜郭駅から湯の川付近までの線路が敷かれ、湯の川から先の区間も戸井までの路盤や橋梁がほぼ9割完成した状態で、廃線となった。この特徴的なアーチ橋は、戦時下という事もあり、資材節約のために鉄筋を使用していない。
廃線が決定され、残された路盤は地元自治体へ払い下げられた。現在、道路や遊歩道=緑園通り(深堀町~湯の川の自転車・歩行者専用道路)に転用され、汐首岬に向かう途中の汐泊川河口付近には、橋脚が残されている。汐首灯台下の山の中腹から戸井駅にかけて、古代ローマの水道橋のようなコンクリート造りのアーチ橋が連続する。
*
戸井線をオーバークロスする跨線橋
路線工事の時に造られたもの
*
戸井線のライラック橋
*
戸井線の汐泊川を渡る橋台
*
戸井線の汐首灯台直下に残る橋脚
*
戸井線といえば!
有名な8連アーチの汐首陸橋
鉄筋も竹材も入らないコンクリートのみの橋脚(・ω・)ノ
長さ52m、8連
構造は『汐首岬砲台と戸井線について(2)-戸井線とコンクリートアーチ橋-』が詳しい。
*
戸井線には2つのトンネルがある
地域住民の津波避難所になっているため、廃線までは容易に上がれるのがありがたい。
*
再びアーチ橋
瀬田北第1陸橋
長さ58m、18連
他、アーチの規模は小さいけど「瀬田北第2陸橋」は長さ75m、25連!
戸井線は、函館から汐首第1砲台に行く道路沿いにあるので楽しめます(・∀・)
***
津軽要塞
前身の函館要塞は「商業港である函館港の防衛」を主目的としたが、津軽要塞は「津軽海峡を守備範囲」とした主目的に変更されている。大正8年、要塞整理案により函館要塞を廃止され(津軽要塞を設置)、函館要塞は昭和2年に津軽要塞に吸収された。
函館要塞時代の砲台で津軽要塞に吸収されたのは、御殿山第2砲台(演習砲台として存続)、千畳敷砲台(28cm榴弾砲6門のみ)、立待堡塁(昭和11年除籍)、立待演習砲台。
津軽海峡の防備は「海峡東西両口で敵艦の航行を妨害」だったが、航空機や砲など兵器の進化に伴い「敵主力艦隊との交戦はあり得ない」との議論がなされ、昭和8年3月に修正計画が決定された。まず、大口径砲台の建設を中止した上で、防空施設や対潜水艦、夜間の防禦力に重点を置いた要塞を建設する、というもの。
結果、汐首第2砲台(大口径砲から中径カノン砲へ設置変更)、大間崎第2砲台(中止→12K)、竜飛岬砲台(大口径砲から中径カノン砲へ設置変更)、尻屋崎砲台(中止→野砲)、白神岬砲台(大口径砲から中径カノン砲へ設置変更)になった。
*
函館要塞以降に築城された砲台群と軍用線
大間崎砲台
竣工:昭和4年(1929年)9月
備砲:30cmカノン2門入砲塔1基(巡洋戦艦伊吹の前部砲塔を移設)
汐首岬第1砲台
竣工:昭和8年(1933年)3月
備砲:7年式30cm長榴弾砲4門
備砲撤去:昭和15年7月
竜飛崎砲台
竣工:昭和11年(1936年)10月
備砲:15cmカノン4門。当初は45口径30K2門
戸井線
着工:昭和11年(昭和17年中断→未完)
大間線
着工:昭和12年(昭和18年中断→未完)
白神崎砲台
竣工:調和12年(1937年)
備砲:15cmカノン4門
※自衛隊内
汐首岬第2砲台
竣工:昭和15年(1940年)
備砲:15cmカノン4門。予定は45式15cmK(改造固定式)2門。
※戦後爆破。原野に戻ってしまい探索困難
以下、詳細不明
大間崎第2砲台(7年式30cm長榴弾砲4門)
松前臨時砲台
恵山臨時砲台
★目次(陸軍①)★★目次(陸軍②要塞以外)★★目次(海軍)★★目次(日本/その他)★
★目次(海外)★