船越防空監視哨

秋田県男鹿市船越

 

 

秋田県の男鹿半島の付け根、船越海岸に現存する防空監視哨。八郎潟の干拓事業で、八郎潟から流れ出る船越水道は河口の位置が変わっている。

 

昭和23年5月米軍撮影

出典:国土地理院 1948/05/21(昭23) USA R1472 55

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2022年のGoogle

 

秋田県戦争遺跡研究会編「秋田県の戦争遺跡」p.123

 

秋田県戦争遺跡研究会編「秋田県の戦争遺跡」の123頁

船越防空監視哨が紹介されている。

 

同書によれば「男鹿半島の他の4監視哨は木造2階建て」、「戦後、米軍が撮影した航空写真では、同一地点にある構造物の上空からの形状が現在のものと異なっており、現存する監視哨は戦時中に機能した構造のままではない可能性がある」と書かれている。

 

出典:陸奥新法「鯵ケ沢の防空監視哨=144」

 

 

異なっているかなぁ?

実際の構造物をみると、明らかに戦前・戦中のモノだが。

 

 

 

防風林の中に埋もれている

 

車の通行可能な砂利道から見えないことも無い。

少しの藪漕ぎで済むのがありがたい。

 

 

高さ2.6メートル

30センチ四方の窓が8つ並列に配置

 

 

この監視哨、建物の壁の厚さが30センチほどしかない。

 

出典:秋田県戦争遺跡研究会編「秋田県の戦争遺跡」の125頁

 

入口から監視窓まで

全長は最大約4メートル(部屋は3メートル強)

 

 

出入口に向かって右側の側面にのみ、鉄梯子がある

屋上は立哨台だったかも

 

屋上に登れそうな感じだが、落ちて怪我ならともかく、梯子を壊しでもしたらと思い止めました。

 

では中へ入ってみる(・∀・)

 

 

 

出入口には鉄扉があったようだ。

 

 

 

 

伝声管かな?

鉄梯子が設けられている側にのみ、ある。

 

 

 

窓枠には鉄枠がはめ込まれているが、これは建物の内側にのみある。

 

 

船越防空監視哨から日本石油秋田製油所がみえる。

ここを防衛するための監視哨だったと推察される。

 

秋田県は昭和12年より陸軍北部軍防衛司令部に属しており、昭和18年2月に北方軍に改組され、昭和19年3月に第5方面軍の編成に伴い廃止された。

 

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昭和20年8月14日午後10時半頃から15日未明にかけて、秋田県の土崎地区は約4時間にわたり激しい空襲(=土崎空襲)を受けた(日本で最後の空襲)。目標は当時、日本で最大の産油量をあげていた日本石油秋田製油所。


土崎空襲は米軍のB29を中心とした爆撃機約132機が12,047発、953.9トンの爆弾を投下、犠牲者は氏名を確認出来た一般市民91名、軍人50名に、確認できない人を合わせると250名以上を数え、製油所のほか104戸が全焼、及び全半壊したと言われている。

 

日石秋田製油所

被害があった辺り。2017年に被爆倉庫(空気圧縮機)が解体され更地になっていた。

 

戦時中にはあったと思われる倉庫

 

被爆倉庫は焼けただれたコンクリートや、鉄筋がむき出した内部が現存しており、解体時にその一部を「土崎みなと歴史伝承館」に移築している。

 

 

 

土崎みなと歴史伝承館

秋田県秋田市土崎港西三丁目10-27  

TEL 018-838-4244