[津軽要塞]大間崎砲台③トーチカと倉庫

 

竣工:昭和4年(1929年)9月

備砲:30cmカノン砲塔1基2門(巡洋戦艦伊吹の前部砲塔を移設)

 

 

 

大間高校の東の道を海に向かって北上すると、右手の藪の中にトーチカがある。

 

 

銃眼

 

 

 

 

 

 

では、入室(・∀・)

 

 

突き当たりを右折

 

本室

 

 

おおおお!

機関銃を置くための台座

 

機銃の銃座がある!

 

 

ここにも不法投棄のゴミがある。

わざわざ電子レンジを捨てに来る輩って、馬鹿?

 

ごみを掻き分けながら横から撮影してみる

 

風呂桶みたいだ。

高さは1m弱か。。

 

 

銃眼から外をみる

 

 

退出!

 

 

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今は県立大間高校の敷地内、校舎の背後の森の中に、巡洋戦艦伊吹の前部砲塔を移設した「30cmカノン砲塔1基」があったらしい。

 

 

砲塔砲台は地下に造られていた。

戦後、完全に埋めてしまったらしい。

 

想像でしか無いが、下部は壱岐要塞の黒崎砲台のような感じだったのだろう。

 

ネット検索していたら「大間崎砲台設計要図」を掲載しているブログを発見した。

大間鉄道(大間線)…大間要塞・その5

 ↓

「要塞探訪」様から資料をいただいた上での引用とのこと。

ありがとうございます!

 

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倉庫(糧秣庫)

 

大間高校の通りを挟んだ反対側、ここに旧軍が使用した倉庫が現存している。

 

 

 

 

ここは「大間町立うみのこ保育園」の敷地内にある。この保育園は建て替えられる前は、兵舎を使用していたとのこと。

 

大間町さん、

戦跡に一切の案内板/紹介板はありませんでした。

 

 

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津軽要塞

 

前身の函館要塞は「商業港である函館港の防衛」を主目的としたが、津軽要塞は「津軽海峡を守備範囲」とした主目的に変更されている。大正8年、要塞整理案により函館要塞を廃止され(津軽要塞を設置)、函館要塞は昭和2年に津軽要塞に吸収された。

 

函館要塞時代の砲台で津軽要塞に吸収されたのは、御殿山第2砲台(演習砲台として存続)、千畳敷砲台(28cm榴弾砲6門のみ)、立待堡塁(昭和11年除籍)、立待演習砲台。

 

津軽海峡の防備は「海峡東西両口で敵艦の航行を妨害」だったが、航空機や砲など兵器の進化に伴い「敵主力艦隊との交戦はあり得ない」との議論がなされ、昭和8年3月に修正計画が決定された。まず、大口径砲台の建設を中止した上で、防空施設や対潜水艦、夜間の防禦力に重点を置いた要塞を建設する、というもの。

 

結果、汐首第2砲台(大口径砲から中径カノン砲へ設置変更)、大間崎第2砲台(中止→12K)、竜飛岬砲台(大口径砲から中径カノン砲へ設置変更)、尻屋崎砲台(中止→野砲)、白神岬砲台(大口径砲から中径カノン砲へ設置変更)になった。

 

 

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函館要塞以降に築城された砲台群と軍用線

 

大間崎砲台

竣工:昭和4年(1929年)9月

備砲:30cmカノン2門入砲塔1基(巡洋戦艦伊吹の前部砲塔を移設)

 

汐首岬第1砲台

竣工:昭和8年(1933年)3月 

備砲:7年式30cm長榴弾砲4門

備砲撤去:昭和15年7月

 

竜飛崎砲台

竣工:昭和11年(1936年)10月

備砲:15cmカノン4門。当初は45口径30K2門

 

戸井線

着工:昭和11年(昭和17年中断→未完)

 

大間線

着工:昭和12年(昭和18年中断→未完)

 

白神崎砲台

竣工:調和12年(1937年)

備砲:15cmカノン4門

※自衛隊内

 

汐首岬第2砲台

竣工:昭和15年(1940年)

備砲:15cmカノン4門。予定は45式15cmK(改造固定式)2門。

※戦後爆破。原野に戻ってしまい探索困難

 

以下、詳細不明

大間崎第2砲台(7年式30cm長榴弾砲4門)

松前臨時砲台

恵山臨時砲台