[勇払平野/苫小牧]①静川綱木トーチカ

 

道道129号線沿いにあるトーチカ。道路整備時に発掘されたそうだ。静川綱木トーチカの備砲は1式機動47mm砲。

 

 

なお、静川トーチカ(備砲は1式機動47mm砲)は行くのを忘れ、共和トーチカ(備砲は94式山砲)は工場?の敷地から行くようなので断念。

 

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静川綱木トーチカ

 

 

 

 

 

横から

砲眼(左)、出入口(右)

 

出入口側

出入口は下部にあり(みえない)

 

 

出入口

 

 

では中へ入る

 

土砂流入があるが入れる。

入室してから出入口を振り返る。

 

どーーーーーん

 

1式機動47mm砲の砲室

駐鋤溝もきっちり残っている

 

1式機動47mm砲

 

砲眼

段々は1段のみ

 

天井を見ると、鉄は使っているよう

 

H鋼っぽいものからワイヤーまで

よくわからん

 

こちらはお決まりの木(板)

 

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出入口から入り左側に換気のための縦長の空間がある

 

出入口から入り左側にかなり立派につくられた砲側弾薬庫

分厚いコンクリート内壁で仕切られている。天井にクレーンでもあったのだろうか。レールっぽい跡がある。

 

では帰ろう

 

 

 

 

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勇払平野のトーチカ群

 

勇払平野は苫小牧に陸軍飛行場が2ヶ所、千歳に海軍飛行場が2ヶ所あり、札幌にも近い。長い砂浜は敵軍が一斉上陸するのに適した地形でもある。

 

日本軍大本営は、連合軍が択捉島からの網走/根室・釧路・帯広の侵攻だけではなく、「苫小牧と千歳の飛行場も占領するだろう」と危惧。昭和19年(1944年)夏、大雪山系より西側地域の防衛を担当する第77師団(稔部隊・15,015人・師団本部は早来)に対し、陸軍第5方面軍は勇払平野での防御陣地の築城を命じた。

 

具体的には勇払平野の海岸線(勇払平野の苫小牧市東部、厚真町、むかわ町の海岸部一帯)に水際陣地、同年10月以降は水際より後退した丘陵・山地にも縦深陣地の築城を命じ、計47基のトーチカ、対戦車壕、塹壕などが築れた。

 

昭和20年5月、第77師団は九州方面の第16方面軍に編入。本土決戦が確実視されている鹿児島県川内地域と加治木で防御陣地を構築しながら上陸に備えている中、終戦。

 

以後、終戦まで勇払平野(苫小牧・早来方面)の防衛は、独立混成第101旅団が担当した。独混101旅団は北海道東部地域の防衛に任じていた第31・32警備隊を基幹として、昭和20年3月27日に編成された。当初は標茶にあって北海道東部方面の防衛を任務としていたが、同年5月に苫小牧・早来方面に移駐して米軍の上陸に備えた。