[勇払平野/鵡川]③鵡川河口トーチカ
勇払平野/鵡川
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鵡川河口トーチカ
この地域で最も重要な場所。トーチカは全部で3基あった。今は1基しか現存していないが、これも柱というか壁が折れてしまった。
写真のトーチカ(現存)の備砲は1式機動47ミリ砲
消滅した2基の備砲は消滅(1)が92式重機関銃、消滅(2)が92式重機関銃×2
内部は海砂の流入もあり、よくわからない。
正面の屋根にある突起物。観測所といわれている。
鵡川河口はすぐ
太平洋
備砲は1式機動47ミリ砲
1式機動47ミリ砲
自衛隊富士学校にて私が撮影
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勇払平野のトーチカ群
勇払平野は苫小牧に陸軍飛行場が2ヶ所、千歳に海軍飛行場が2ヶ所あり、札幌にも近い。長い砂浜は敵軍が一斉上陸するのに適した地形でもある。
昭和19年(1944年)夏、陸軍第5方面軍は大雪山系より西側地域の防衛を担当する第77師団に、勇払平野での防御陣地の築城を命じた。網走・根室・釧路・十勝同様、勇払平野の海岸線にトーチカや対戦車壕、塹壕などの水際陣地(防御陣地)が築かれた。同年10月以降は水際より後退した丘陵・山地に縦深陣地を築いている。
昭和20年5月、第77師団は九州方面の第16方面軍に編入。本土決戦が確実視されている鹿児島県川内地域と加治木で防御陣地を構築しながら上陸に備えている中、終戦。
以後、終戦まで勇払平野(苫小牧・早来方面)の防衛は、独立混成第101旅団が担当した。独混101旅団は北海道東部地域の防衛に任じていた第31・32警備隊を基幹として、昭和20年3月27日に編成された。当初は標茶にあって北海道東部方面の防衛を任務としていたが、同年5月に苫小牧・早来方面に移駐して米軍の上陸に備えた。