宿毛(宇須々木)海軍航空基地・第21突撃隊本部①

 

豊後水道の入り口に位置する宿毛湾。水深が深く深い入り江になっているため天然の良港として大正時代大正より日本海軍の艦隊基地の一つ「宿毛湾泊地」となる。昭和7年頃から毎年1月頃から艦隊ごとの訓練が開始され、5月頃全艦隊が宿毛に集結して戦技訓練の総仕上げをしていた。

 

昭和8年頃、宇須々木地区に常設の基地ができたようで、昭和11年には兵舎2棟が完成している(現在は宇須々木公民館)。基地では兵員約200名がおり、主に艦載機の寄港基地として利用された。

 

 

昭和13年頃より艦隊の訓練は、実戦を想定したものになったため訓練区域が変更になり、艦隊の入港自体も少なくった(入港しても小艦艇が主)。昭和15年、日本軍が仏印へ進駐した際、旗艦足柄・巡洋艦4隻を中心とする第7戦隊が宇須々木に集結してから出撃している。昭和16年10月18日、宿毛湾沖の沖の島~鵜来島間では戦艦大和の試験航行が行われている(寄港無し)。

 

昭和18年(1943年)4月1日、第一艦隊附属として宿毛(宇須々木)海軍航空隊が開隊。

 

主な任務は、水上戦闘機・水上偵察機補充要員養成。二式水上戦闘機・二座および三座水上偵察機が配備されている。同年10月に第3艦隊第50航空戦隊に編入。

 

 

 

 

揚陸スロープ(滑走台・スリップ)は70m×40m

 

飛行艇係留場

 

 

 

 

現在の遺構の大半が宿毛海軍航空隊以降のもの、とのこと。主な遺構は飛行艇揚陸スロープ(スリップ)、飛行艇の係留場、火薬庫(弾薬庫)、貯油庫、地下壕(格納庫、整備壕、待避壕など)誘導灯。

 

 

規正標柱(水尺)

 

 

 

 

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古い配水管(素焼きの土管)が埋まっている

 

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火薬庫(弾薬庫)

外壁:延長57m、奥行10m以上、高さ3.3m、厚さ23cmのコンクリート製

コンクリート製の火薬庫?と赤煉瓦の火薬庫?がある。

 

 

 

 

外塀は一周していたが、戦後、北側の一部を壊した。

 

(以下、敷地内部は住人の方の立入許可済み)

 

弾薬庫は2棟から成る。いづれも煉瓦造りモルタル仕上げ。

各々に鉄扉の出入口在り。

 

北側の建物は住居、南側の建物は養鶏場になっている(現在は廃墟)

 

住居部

往時はもちろん、火薬庫

 

住居部になっている北側の火薬庫の扉

 

南側の火薬庫(養鶏場跡地)にも独立した出入口あり。

 

 

 

 

 

 

火薬庫の裏側

 

 

 

 

 

内部

 

 

退出(^_^)/~

 

 

 

弾薬庫を背後の丘から見下ろす

 

 

宿毛市が建てた案内版

 

 

つづく

 

 

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昭和19年(1944年)1月1日、宿毛海軍航空隊は実戦部隊に転換され、佐世保鎮守府隷下第453海軍航空隊に再編。水上艇には不都合な波の関係もあり、本拠地を鹿児島県の指宿基地に移す(同年12月に951空に編入・宿毛空は消滅)。

 

昭和20年3月、第21突撃隊の特攻基地本部が設置される。

 

この頃、宿毛湾正面の山塊(楠山及び篠山など)には本土決戦に備えて海軍陸戦部隊2個大隊が展開している。水際陣地では無く第二防衛戦および8センチ高角砲陣地×2ヶ所?を構築していたようだ。

 

 

昭和20年7月27日、大分県佐伯より呉鎮守府隷下第8特攻戦隊司令部が移転。終戦。