宇佐飛行場(宇佐基地)の掩体壕群

 

宇佐飛行場には各地から実用機訓練部隊所属機が集結。掩体壕もこの時期に量産された。昭和20年2月には豊橋飛行場より実施部隊の第701海軍航空隊が進出以降、各地から実施部隊が集結した。

 

1945年1月前後から有蓋掩体壕づくりが始まる。

現在、遺構としてあるのは10基らしい(9基確認)

 

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城井地区の小型有蓋掩体壕(4基)

城井1号掩体壕

 

 

 

城井地区の小型有蓋掩体壕②

 

脱穀した殻を収納する倉庫になっていた(^^;)

 

城井地区の小型有蓋掩体壕③

 

 

城井地区の小型有蓋掩体壕④

 

 

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森山地区(1基)

中型有蓋掩体壕

 

一式陸攻を格納したと思われる。

宇佐最大の有蓋掩体壕デス(・∀・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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畑田地区

小型有蓋掩体壕①

 

小型有蓋掩体壕②

 

小型有蓋掩体壕③

 

 

小型有蓋掩体壕④

 

 

 

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宇佐海軍航空隊

 

昭和14年(1939年)10月1日、呉鎮守府隷下の実用機訓練部隊として開隊した。

宇佐飛行場(宇佐基地)の竣工は昭和15年。

滑走路:(開隊時)1,150mx30m  (終戦時)1,800mx80mコンクリート敷

宇佐空は昭和16年(1941年)11月19日ハワイ作戦(真珠湾攻撃)のため出撃。昭和17年1月11日には蘭印攻略のため出撃。緒戦は華々しい戦果をあげたが、戦況が悪化した昭和19年10月31日には本土防衛のために結成された第三航空艦隊に進出決定。一式陸上攻撃機の離着陸に備えて滑走路拡張工事に着手。

 

 

宇佐基地には各地から実用機訓練部隊所属機が集結。掩体壕もこの時期に量産された。昭和20年2月には豊橋飛行場より実施部隊の第701海軍航空隊が進出以降、各地から実施部隊が集結した。

 

同年2月16日には特別攻撃隊編成命令が宇佐空に下令され、のちに八幡護皇隊と命名して同年4月2日より鹿児島県の串良飛行場より特攻出撃を開始した。同年4月21日に宇佐基地はB-29による大規模な空襲を受けて飛行場施設は壊滅状態になり、同年5月5日に宇佐空は解体した。宇佐基地への空襲は8月8日までの間、計11回行われた。