[壱岐要塞]小呂島砲台②砲台・弾薬庫
起工:昭和10年(1935年)4月15日
竣工:昭和12年(1937年)3月20日
備砲:45式15センチ加農砲×4→北九州沿岸へ転用
任務:下関要塞大島砲台と壱岐要塞名烏島砲台・黒崎砲台と協力して、玄界灘の安全航行
小呂島は「おろのしま」と読む。南北1.5キロ、東西0.5キロで周囲3キロ余の小島。
小呂島砲台は壱岐要塞を構成する砲台だが、行政区は福岡県福岡市西区(福岡県糸島郡北崎村小呂)に属す玄界灘の孤島だ(壱岐島の東方25キロ、下関要塞大島砲台の西方34キロ、同要塞沖ノ島砲台の西南41キロ、福岡市蒙古山の北西27キロ)。
小呂島砲台に関して下記の本が大変参考になりました。
引用の大半はこの本からです<m(__)m>
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小呂島砲台
出典:花田勝弘編著「北部九州の軍事施設と戦争資料」、一部拡大
45式15センチ加農砲が4門、1砲座1門。
砲座①と砲座④が固定型(旧式)
砲座②と砲座③が改良固定式(新式)
出典:花田勝弘編著「北部九州の軍事施設と戦争資料」、一部加筆
弾薬庫は地下に設営されており4室(倉庫ー弾薬庫ー弾薬庫ー倉庫)ある。
弾薬支庫&防備衛所に通じる道から砲台行けることになっているが、砲台の手前にある御堂の先(砲台)はとんでもない藪道になっていたので断念。
真っ直ぐ進む、ズンズン登る
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斜面右側に地下発電所が2ヶ所ある
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というわけで、冬なら余裕で行けるであろうこの道を断念して、小呂小中校(旧陸軍兵舎)の敷地に入り校舎裏手から砲台へ行った。こちらが推奨ルートらしい。
最初だけ直登り、あとはそれなりに整備された細い道を歩く
砲座④に到着
壁体が1段(幅30センチ)なので固定型(旧式)砲座
出典:花田勝弘編著「北部九州の軍事施設と戦争資料」、一部拡大
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砲座③が改良固定式(新式)
砲床に降りる階段は1ヶ所のみで他は潰している
砲座②①は藪の中で断念(*_*)
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砲側弾薬庫は砲座③の南、地下にある
出典:花田勝弘編著「北部九州の軍事施設と戦争資料」
ズン!ズン!
ズン!ズン!ズン!
脱出!
最後に軍道を歩いてみた。
砲座④〜①を支える石垣
軍道は途中で崩れ消滅していた。。。
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港に戻る道。
海軍宿舎跡地
標石!
帰ります!
滞在時間3時間20分、慌ただしかったぜい!