壱岐要塞渡良大島砲台①観測所と砲座③④と付属弾薬庫
起工:昭和11年(1936年)8月1日
竣工:昭和12年(1937年)12月30日
備砲:45式15センチ加農砲改造固定式×4(第4砲のみ、戦時に備砲する)
任務:名烏島砲台と小呂島砲台と連携して、壱岐西海岸と壱岐海峡の安全航行の確保
45式15センチ加農砲改造固定式
出典:佐山二郎「日本陸軍の火砲 要塞砲」307頁、光人社NF文庫
渡良大島には壱岐の郷ノ浦港/渡良浦港から出港する大島行きのフェリーに乗る。渡良大島砲台に行くには長島港でも大島港でもほぼ同じ距離。大島と長島ではレンタサイクルはないので、壱岐の郷ノ浦観光協会で電動アシストのチャリを借りてフェリーに乗せた。
砲台への道は比較的わかりやすい(案内板は無いのでGoogleMapで)。
行政様の散策推奨は観測所、砲座①&穹窖砲台①のみ。
これらへの道は整備されているが、他の砲座&弾薬庫探しをすると藪漕ぎになる(管理されていない)。
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最初に現れるのは観測所
観測所の外周はともかく、観測所内部は雑草と低木が邪魔だったりする。破壊された観測所内部はどうやら円形の観測所のようだが、何だかよくわからない。
とりあえず観測所内に入って(降りて)みる
ボロボロだけどコンクリート製の壁は確認できた。
一旦外に出て、外周を右へ進むと観測所の正規の出入口がある。
ま、藪っていますねー(*_*)
退出!
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正規の出入口付近には、砲座③④の弾薬庫がある。
弾薬庫は2砲座1弾薬庫(2室)のようだ。
2室あり
この弾薬庫、牛小屋として使用されていた(使用中?)ようだ
出入口は2カ所
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弾薬庫から西側の海岸に向けて歩くと
砲座③が現れる
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推定ながら砲座④
では、観測所に戻ります。
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観測所の階段、この反対側(谷側)に発電所と貯水槽がある。
砲座①②へつづく
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壱岐要塞
日露戦争での勝利により、日本本土と中国大陸大陸の間にある対馬海峡(朝鮮海峡)の安全な航行がより一層重要視された。既存の対馬要塞、鎮海湾要塞(釜山)に加えて、壱岐要塞が新設された。対馬海峡は3つの要塞で守ることになった。
対馬要塞は大正13年(1925年)の的山大島砲台の工事で開始され、昭和13年12月に竣工した生月砲台で完成した(全6砲台)。昭和20年になると本土決戦を見据えて、3つの砲台に穹窖式砲台を新設している。
年代順
年代順(昭和16年末)
・的山大島砲台:砲塔30加×2/38式野砲×2→北九州沿岸へ転用
・印通寺砲台::38式野砲×4→北九州沿岸へ転用
・黒崎砲台:砲塔40加×2
・名烏島砲台:45式15加×4(穹窖式新設)
・小呂島砲台:45式15加×4→北九州沿岸へ転用
・渡良大島砲台:45式15加×4(穹窖式新設)
・生月砲台:96式15加×2(穹窖式新設)
・馬渡島砲台:38式野砲×4→北九州沿岸へ転用
・海軍14㎝砲が壱岐要塞の指揮下に