壱岐要塞黒崎砲台②砲塔砲台

長崎県壱岐市郷ノ浦町新田触870地先

 

起工:昭和3年(1928年)8月15日

竣工:昭和8年(1933年)2月14日

備砲:45口径40センチ加農砲1基2門(連装砲塔1基、巡洋戦艦赤城の一番砲塔を転用/戦艦土佐説あり)

目的:的山大島砲台と協力して壱岐海峡、対馬の竜ノ崎砲台と協力して対馬海峡の安全航行を確保

首線:北西50度(射界180度)

有効射程距離:30,000メートル

 

 

赤城は大正11年(1922年)に締結されたワシントン海軍軍縮条約により建造中止になった。建造中止時、天城型の砲塔は4基が完成。赤城の主砲塔2基は日本陸軍に譲渡され、1番砲塔は海軍の呉工廠亀ヶ首射場から陸軍クレーン船の蜻州丸により壱岐要塞黒崎砲台へ運搬され、現地で要塞砲として活用された。赤城の4番砲塔や予備砲身は広島陸軍兵器補給廠に保管されたまま終戦。

 

(陸軍クレーン船の蜻州丸)

 

砲塔四十五口径四十糎加農は、砲身の長さ18メートル、弾丸の重さ1トン、最大射程距離35キロ。射撃間隔は2分間。要塞砲としては当時は東洋一の射程距離と破壊力を誇っていた。

 

※・戦艦土佐の一番砲塔は対馬要塞の豊砲台、二番砲塔は釜山要塞(韓国)の外張子嶝砲台へ設置、と認識している。

 

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砲塔砲台へ

(黒崎砲台には2005年頃から複数回訪問しており、写真が混在します)

 

 

めちゃくちゃな見取り図(^0^;)

控えめに言ってヒドイやつ

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正しい絵

引用:学研「歴史群像2019年2月No.153号」

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『砲塔45口径40センチ加農(旧赤城1番)築城図を元に再現したイラスト図』

『搭載砲身はいずれも呉工廠製で右砲:呉5(大正8年6月、砲齢<既発射弾数>19、左砲:呉4(大正8年5月、砲齢22』

『なお砲塔外面と砲身の迷彩は、残されたモノクロ写真の解析と黒崎砲台各所に残る迷彩をもとに再現している』

 

 

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出入口は2ヶ所ある。

行政様的はこちらがメインの出入口にしている。

 

どちらの出入口も迷彩を施している(・∀・)

 

 

 

 

 

 

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砲塔井があるメインの部屋へ・・・

 

現在、砲塔井への道は厳重に封鎖中

しかも真っ暗(*_*)

見せたくないらしい・・・

 

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以下、規制が緩かった頃の写真

 ↓

部屋を経て、もうひとつの出入口につながる廊下が見える

写真右には油脂庫、倉庫、トイレなどがあった(らしい)

 

機械室は仕切りが5区画あったが、爆破・撤去され大広間みたいになっている。

(左)砲塔井、(右)水圧畜力機

 

機械室には主動力室、副動力室、蓄力機室、燃料庫、兵員室、と仕切られていた。

 

引用:学研「歴史群像2019年2月No.153号」

 

 

水圧畜力機井

 

直径3.08メートル、深さ7.5メートル

75馬力重油発電機などが置かれた機関室につながっていた。

 

 

 

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砲塔井

内側の分厚いコンクリート壁が全て爆破・撤去されている。

 

学研「歴史群像」2019年2月号2頁を引用

『砲弾(下)、装薬缶(上)が並ぶ層が給弾室。艦載砲当時は給弾室と給薬室が二層に分かれていたが、改修で一層にまとめられている。その上が換装室、旋回盤で、地表に砲室が露出する』

 

陸上砲塔に改修したのは陸軍技術本部と呉(海軍)工廠。昭和5年に広島県の倉橋島にある呉工廠亀ヶ首射場で組立機能及び射撃試験を行っている。

 

 

砲塔まわりの壁厚は3.5メートル

 

 

 

砲塔井

砲塔45口径40センチ加農第2号(旧赤城1番)

上部の直径10.6メートル、深さ13.6メートル

 

 

黒崎砲台の竣工は昭和8年。昭和11年秋の特別防衛演習(9月20日から10月3日)では、陸軍重砲兵学校が使用部隊となって実弾射撃を行っている。演習や火薬試験で24発以上の射撃を行った。

 

 

大広間みたいになってしまった機械室

突き当たりには油脂庫、倉庫、トイレなどがあった(らしい)

 

 

機械室を中心にして、出入口はU字型坑道の先に各々ある(2カ所)。

 

 

 

 

以前は封鎖がなかった、もうひとつの出入口

 

 

 ↑

この道を左にいくと、正規の出入口へ。右に行くと行き止まり(景色は良い)。

 

先日行った時は、砲塔井はもちろん機械室など大広間への立入は「厳重に封鎖中」なので、すごすごと戻る。

 

 

 

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砲塔井を上からみてみる

 

100メートルくらい先にある観光地「猿石」の駐車場。土産屋の横の小道を上がっていく。この土産屋店内に往時の黒崎砲台の写真が飾られている(写真撮影OK, SNSもOK)。

 

 

砲塔井の直径は約10m、深さは13.8メートルとのこと。

 

 

次は観測所に向かいます!

 

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「戦争遺跡に行ってみた。山口県の戦争遺跡」のブログが、散策記や地図などなど大変参考になりました。ありがとうございました。