[網走地区/網走港]台町しおさい公園下トーチカ(発電所?)

北海道網走市網走市台町2丁目付近

 

 

「台町しおさい公園下のトーチカ」と呼ばれるところを探索してみた。

公園が突き出たところ、知人岬というらしい。

 

 

この公園の柵下に「トーチカ」があるらしい。

 

しおさい公園からは柵が邪魔している上に、何気に崖!になっているので少し遠回りをして真下に行く。

 

等高線地図をみるとこの崖下に少しの平地(の通路)がある。ここを歩けば良いと判断。この平地は例によって不法投棄されたゴミの山、途中で切れている管、枯れた萱の幹のようなものを乗り越えて歩く。距離は短いが気分はブルーだ。

 

うん、これだ!

 

あれ?こりゃトーチカじゃないな。

形状が違う。何かの掩体だ。

 

 

明らかに後年に開けられた穴がある。

 

穴の様子からトーチカにしては壁厚が薄すぎる。

この掩体は70センチくらいしかない。

 

では、この穴から潜入してみよう!

 

おおおおおおおおおおおおお!

 

これは発電所の掩体だな。

 

奥が出入口で、土砂で人為的に埋めてある。

この掩体の出入口(写真奥)は、台町しおさい公園の「案内地図」があるコンクリート板の下だろう。

 

 

部屋の広さは8畳間くらい。

 

 

 

 

 

では戻りますか!

 

 

景色は抜群!

 

とても参考になるブログがありました!

発見の経緯がわかります(穴を開けたところも)。

物資貯蔵庫、と結論されていました。  

  ↓

網走歴史の会・トーチカ調査報告

 

 

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網走地区の防御陣地

 

網走には第7師団第31警備隊(北部5241部隊)が配置され、美幌・女満別の海軍航空基地の警備を担当した。網走などでトーチカや塹壕などの築城工事が始まったのは、昭和19年(1944年年4月以降。

 

第31警備隊は昭和20年(1945年)3月27日に第31・32警備隊を基幹として独立混成第101旅団が編成された。当初は標茶から北海道東部方面の防衛を任務としていたが、同年5月に苫小牧・早来方面に移駐してしまった(勇払平野の防御陣地を築城)。

 

昭和20年(1945年)3月以降は、歩兵第28連隊第2大隊が網走の東半部の守備を担当、終戦を迎えた。

 

網走海岸では5基のトーチカ(全7基/2基喪失)、掩蔽部1箇所(発電所?)が現存している。喪失したトーチカはモヨロ貝塚と二ツ岩。

 

水際陣地に配したどのトーチカも1トン爆弾に耐える重掩蓋で構築された。網走地区のトーチカは観測に重きを置いている。

 

トーチカの築城は春から秋は主に地上工事、冬は地下作業と計画的に行われた。防御陣地の専門家が少ないため、築城担当の将校が試行錯誤しながら完成させている。資金もセメントなどの資材も不足していたが、特に鉄は極端に不足していた。そこで既存の牧場などで使われていた針金など結束して木材を束ねてトーチカの強度を保った。トーチカの作成はある程度現場に任せられていた。

 

戦後、海岸段丘につくられたトーチカは、土砂の採取、海蝕/大きな地震など自然災害などによる地滑り等で露出しているものが多い。露出したら滑落してやがて浜の砂に埋もれてしまう運命にある。諸般の都合で何基かのトーチカを撤去したとの話もあるし、未発見のまま埋もれている可能性のトーチカもある。

 

結局、連合軍に上陸をされることなく終戦。