美幌第2航空基地(女満別)掩体壕

北海道網走郡大空町‎女満別中央‎

 

 

竣工:昭和10年(1935年)3月、気象観測用の飛行場

転用:昭和17年(1942年)

滑走路:1,500mx80m(コンクリート)*1,200m/1,300m説あり

所属:96陸攻、零式輸送機

 

美幌海軍航空隊は当初より陸攻専用の航空隊として編成されていた。昭和19年10月1日に編成された北東海軍航空隊(海軍乙航空隊)が美幌飛行場を拠点とし、北海道・千島列島各地の飛行場を管轄した(詳細は不明)。基地防衛や輸送・移動用の最低限の航空機しか持たず、航空基地を防衛し、支援システムを保有する陸上部隊ゆえ、航空作戦はほとんど実施されずに終わった。秘匿性があるため「M地」と呼ばれていた。。

 

 

現存する掩体壕は2基。

同じ大きさと形のもの(掩体壕②)が開口部を逆にして並列にある。こちらは民家の敷地内で道路側からだと背後になるため、道路からは外見はわかりにくい。

 

掩体壕①のみ、みにいく。

 

戦後、GHQが滑走路など爆破するも、朝鮮戦争時の不時着飛行場として米軍が修復、再利用。昭和33年に日本に返還。昭和38年に女満別空港として運用開始。昭和60年に空港の南側に新たに滑走路を建設して空港移転。現在、滑走路はボッシュ社の女満別テクニカルセンターとして活用中。

 

 

 

 

裏へ。

 

 

1947/10/21(昭22)USA M577-141(国土地理院)

 

 

*

美幌第1航空基地:現在、陸上自衛隊駐屯地(滑走路撤去)

美幌第3航空基地:現在、農地

 

*

1943年(昭和18年)5月、(アリューシャン列島)アッツ島の戦いで日本軍は玉砕、キスカ島からは軍隊が撤収した。以後、北からの連合軍の侵攻を止めることが急務となる。

 

1943年(昭和18年)年8月23日、北方軍(のちの陸軍第5方面軍)と同年8月に再編された海軍北東方面艦隊との協定により、北海道と千島列島における陸軍と海軍の分担が決まった。

 

だが千島列島の防衛強化・敵を極力洋上で撃滅する作戦のために、海軍も陸上飛行場が必要となる。戦前からあった飛行場は再整備され、陸海軍は各地に陸上飛行場を建設した。

 

1945年(昭和20年)時点

陸軍:浅茅野1ー2、旭川、計根別1ー5(第2と3は偽装、第4は第1の代替)、帯広1ー2、札幌1ー2、沼ノ端、苫小牧、白老、室蘭、八雲。

海軍:稚内、能取、美幌1ー3、中標津(標津第1)、川北(標津第2)、花咲不時着(根室第1)、牧之内(根室第2)、釧路不時着、広尾不時着、厚岸、小樽、千歳1ー3