海軍広尾航空機不時着場(広尾飛行場)

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起工:昭和9年(1934年)6月
竣工:昭和9年(1934年)11月

滑走路:1,000m×20m(北東から南西)、1,000m×20m(北西から南東)

 

 

 

「昭和初期に航空機の急速な進歩発達により、旧日本海軍は、航空機基地整備に全力を投入する。昭和5年大湊(樺山)に、同8年根室に不時着場が完成し、同9年ここ広尾飛行場が敷地240町歩、整備敷地85町歩で、北東から南西へと北西から南東への、それぞれ1,000メートルの滑走路が三角形を形作っていて、燃料庫が1棟付属していた。工事は昭和9年6月起工同年11月竣工した。工事施工は菅原組。(資料提供 松本尚志氏) 

 

平成十八年十一月建立 広尾町郷土研究会 広尾町教育委員会」

 

飛行場内で現存する構造物は燃料庫のみ。

 

「10年間使用せず」の注釈付き

 

 

 

 

耐圧板(コンクリートのベタ打ち)の上に、束石が規則正しく並んでいる。木板が散乱しているので、木製の床があったのかもしれない。

 

 

 

 

 

飛行場はそのまま牧場(牧草地)になっているようだ。

 

 

 

昭和11年2月21日午後1字20分

広尾飛行場で飛行訓練中の90式艦上戦闘機、機体大破の事故があったようだ。

 

この調査報告書、とても詳しい(・∀・)

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1943年(昭和18年)5月、(アリューシャン列島)アッツ島の戦いで日本軍は玉砕、キスカ島からは軍隊が撤収した。以後、北からの連合軍の侵攻を止めることが急務となる。

 

1943年(昭和18年)年8月23日、北方軍(のちの陸軍第5方面軍)と同年8月に再編された海軍北東方面艦隊との協定により、北海道と千島列島における陸軍と海軍の分担が決まった。

 

だが千島列島の防衛強化・敵を極力洋上で撃滅する作戦のために、海軍も陸上飛行場が必要となる。戦前からあった飛行場は再整備され、陸海軍は各地に陸上飛行場を建設した。

 

1945年(昭和20年)時点

陸軍:浅茅野1ー2、旭川、計根別1ー5(第2と3は偽装、第4は第1の代替)、帯広1ー2、札幌1ー2、沼ノ端、苫小牧、白老、室蘭、八雲。

海軍:稚内、能取、美幌1ー3、中標津(標津第1)、川北(標津第2)、花咲不時着(根室第1)、牧之内(根室第2)、釧路不時着、広尾不時着、厚岸、小樽、千歳1ー3