遥拝台

福岡県久留米市野中町11

 

陸軍墓地の付属施設。軍の式典などで遥拝台の屋上から、皇居(宮城)の方角に向かって遥拝していた。久留米の遥拝台は国旗掲揚台と手信号の訓練場を兼ねている。

 

 

遥拝台は裾広がりの円柱状の建物。高さ4.8m、底部径6m、屋上径5.8m。

 

 

内部の螺旋階段を上ると屋上に出る。

 

 

 

 

 

屋上には石の標柱があり

 

 

「宮城遥拝」と「皇紀2601年」が刻まれている。

 

 

 

国旗掲揚台は向かい合っての反対側にある

 

 

では下りますか。

 

 

 

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陸軍橋

昭和17年(1942年)4月竣工

 

 

 

 

 

 

 

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昭和14年(1942年)4月、日本陸軍第18師団は広大な陸軍墓地を核とする大灯籠と参道、陸軍橋、忠霊塔、野外講堂、遙拝台などを竣工させた。元々はドイツ兵俘虜収容所(1914年10月ー1920年2月)などがあった場所とブリヂストンの石橋正二郎氏の私有地 (寄贈)が合わさったもの。

 

久留米の競輪場は陸軍墓地の広大な敷地の跡に作られた。久留米市は、太平洋戦争で焦土と化した久留米市を復興させるために競輪場誘致を決定。誘致にあたり陸軍墓地奉賛会は1948年(昭和23年)に陸軍墓地の敷地を寄付。墓は忠霊塔にまとめている。