秋津洲 (防護巡洋艦)砲身の表忠塔

静岡県牧之原市地頭方64-2

 

地頭方村(現在の静岡県牧之原市)にある鎮霊神社の横、1926年(大正15年)に建立された表忠塔。なお、神社が造営されたのは戦後のこと。

 

 

 

 

 

この塔に日本海軍の防護巡洋艦「秋津洲」に搭載されていた長さ約5mの砲身が使われた。

 

 

 

砲身に付けられている「尽忠戦士之栄塔」の文字は名和又八郎海軍大将(案内板では中将だが大正7年に大将に昇進している)の書。

 

 

砲身はアームストロング社製(英国)1894年型、40口径安式12糎1型砲身(三挙動式)で番号46。当時は画期的な後装式で速射砲と呼んだ(12cm40口径単装速射砲)。

 

 

 

 

 

 

 

秋津洲は、日本人だけで設計から建造した最初の純国産巡洋艦。主装備は、安式15糎砲単装×4、安式12糎砲単装×6、35.6糎魚雷発射管単装×4、オチキス社(仏国)製40口径4.7糎単装機砲×8。

 

 

日清戦争・日露戦争・一次大戦に参加、その後大正10年に潜水艦母艦となり、1927年(昭和2年)除籍、解体された。歴代艦長には海軍中将(当時は大佐) 秋山真之がいる。

 

1925年(大正14年)10月、地頭方村が海軍省に「村の忠魂碑兼納骨堂の建設」なる下付願いを提出、1926年(大正15年)に「秋津洲の砲身1門、40口径12糎二号徹甲弾13個、鉄鏈20m以内を無償で提供」との訓令が出された。

 

なお40口径12糎二号徹甲弾13個、鉄鏈は現存しない。