不発弾の釣鐘

鹿児島県大島郡喜界町佐手久2651

 

 

喜界島は昭和20年1月頃から連合軍機(米軍機)による空襲に晒された。島内の集落の半数以上が全焼失、残りの集落の大半が半焼失で、丘陵部密林に点在していた僅かな集落だけが無傷だったと言う。米軍機が投下する爆弾は粗悪品も少なくなく、島内には大量の不発弾が転がっていた。

 

この不発弾の再利用のひとつが釣鐘(・∀・)

 

 

芯管を外して爆薬を取り出し、弾尾部分を分解して取り除くと円錐状の筒になる。これを吊り下げて釣鐘にした。ハンマー等で叩くと良く響いた。

 

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砲の薬莢は、学校や集落、消防施設の半鐘として使われていた。佐手久集落の佐手久公民館(保食神社入り口)には、寄贈された「爆弾釣鐘」が当時を再現して置かれている。

 

 

見応えあり(^o^)