黒崎防空監視哨(聴音壕)

岡山県倉敷市玉島黒崎沙美西

 

水島灘に近い標高100mの山頂に黒崎防空監視哨(聴音壕)がある。状態は良いとの情報を聞き行ってみた。

 

登山口は黒崎公園にあった。

公園の山側の畑に登山道がある(猪避け柵付き)。

 

 

 

 

 

要塞地帯標?(・∀・)と思いきや、なんだよコレww

と悪態をつく。ちなみに急坂だわ竹の落ち葉が滑るワww

 

分岐点。

「←黒崎公園」と「備南アルプス→」の間を進む!

 

ここから道なき道、そして稜線を歩む。

基本的に獣道だが人が歩いた軌跡はあるし、たま〜に枝に巻き付けている赤いテープが頼りになる。道が出来たり消えたり、下ったり登ったり。

 

 

2個目のなんちゃって要塞地帯標が出てくる。

 

稜線を外れないようにズンズン進む(ほぼ直線)

 

コンクリートの基礎?の瓦礫があった。

どうやらここが防空監視哨の詰所跡地のようだ。

 

 

 

そしてピークに円筒形の遺構がみえる

 

 

キター!キター!キター!

 

 

保存状態良し(・∀・)

 

 

コンクリートの基礎に小さなコンクリートブロック(煉瓦?)を二重に積み上げて、音がより反響するようブロック壁とブロック壁の間に空間を作っている、内側と外側はモルタル仕上げ。

 

 

床面は雑草と土砂堆積でわかりにくいが、床面はコンクリート仕上げで、東西南北の4カ所に監視員用の腰掛けのブロックがある。ハシゴで出入りしたようだ。

 

 

内径約4メートル×高さ2メートル以上の円筒でほぼ地中に埋まっている。当時は内側に長い柱を打って、日差し避けと雨避けの屋根を掛けていたとのこと。

 

 

ハシゴなど無く内部に入ったら、肉体自慢ではない限り脱出不可能っぽいので諦めた。その代わり腹ばいになって上半身を円筒の中に入れてみる。

 

確かに外部の音が遮断され、聞こえる音が澄んでいる!

 

 

落ち葉が堆積しているので浅くなっているが、見た目は深さ160センチはありそうだ。

 

 

では帰ろう。

 

だが、あの同じ道を帰る気がしない(また登るし)。聴音壕の係員が日々登り降りしたであろう軍道っぽいものがある気がしたのでトライしてみた。

 

聴音壕からえらく急坂を下り、途中から見晴らしは皆無になって、幅30センチほどのなんとなく道っぽいものだけが頼り。赤いテープは一切ない。しかも里に近づくと萱や野バラが行く手を阻む。

 

剪定鋏とYAMAPがなければ確実に遭難していたなぁ!

教訓:普通に来た道を戻ろうw

 

 

(聴音壕がある山)

 

 

口粟野防空監視哨

引用<10>-空襲- 見張り役は女性や若者(下野新聞 SOON)

防空監視哨(聴音壕)は見晴らしが良い丘陵や山の山頂部にあり、ここで敵機襲来を察知する。具体的には人が聴音壕の内部に入り「耳で聴く」。

 

昭和16年(1941年)に防空監視隊令が公布、都道府県が防空計画を策定した。防空監視哨は地下式の一部コンクリート+煉瓦製モルタル塗りの聴音壕(集音壕)と詰所で構成されている。聴音壕は主に青年団や警防団が建設した。都道府県ごとに30~40ケ所は造られたようだ。

 

哨員は尋常高等小学校の卒業者の中から、特に聴覚と視力の良い16〜19歳の選抜された。1班5人で3〜4交代制(24時間監視)の奉仕勤務に従事した(地域差あり)。4人が聴音壕に入り、接近する飛行機の敵味方/飛行機の数や種類/方向や距離や高度」を聞き分けた。壕内は様々な音が遮られ、飛行機の爆音が増幅されて聞こえやすかったようだ。

 

双眼鏡で目視した情報と合わせ、通信士が発見時刻と共に軍用電話で所轄の警察署に連絡。この情報は所轄から県警警防課から県庁内の監視隊本部を経由し、航空情報隊に伝達され、軍管区の防空作戦室に集約される。

 

防衛作戦室では参謀が敵機の状況を判断して、各方面軍から隷下防空部隊に撃墜の出動命令を下す一方で、放送隊が警戒警報または空襲警報等の伝達を行った。

 

なお、軍部の聴音機はマジ、優れもの

こちらは海軍の照聴所に設置された。

最大追聴距離15,000m/最大補聴距離10,000m