出水海軍航空基地の気象観測所

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出水飛行場跡(出水ゴルフ場)の東にあるレンガ造2階建の家屋がある。

 

 

1940年(昭和15年)頃に無線通信所としてつくられた。

 

 

1944年秋頃、新たな無線通信所が高尾野地区につくられ移転したため、ここはその後、気象観測所として使われた。

 

 

 

 

機銃掃射の痕跡があるとはいえ、空襲の被害が免れた数少ない建造物となる。

 

 

戦後は個人が所有、現在はガレージと物置で使用中。

 

 

 

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出水飛行場

 

1940年(昭和15年)に出水飛行場として開港。

滑走路は長さ1,500m×幅50mのコンクリート敷。

 

昭和20年8月「海軍航空基地現状表」の記録によれば、居住、指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、倉庫、工業場 魚雷同時調整8本、同格納庫56本、小型有蓋掩体壕3・中型無蓋掩体壕12がつくられた。

 

出水第1航空隊の諸施設は、1945年(昭和20年)2月に実戦部隊(特攻出撃)の第763海軍航空隊に譲渡したためか連合軍による空襲で同年4月末までにほぼ壊滅した。一方、飛行場の西(千間山地区)にあった出水第2航空隊の諸施設は甚大な被害は免れた。

 

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出水第1/第2海軍航空隊

 

1940年(昭和15年):出水飛行場開港。

 

1941年(昭和16年)4月:佐世保海軍航空隊出水分遣隊設置。真珠湾攻撃(布哇作戦)に参加した艦載機の搭乗員はここで訓練した。

1943年(昭和18年)4月:出水海軍航空隊が開隊(第1航空隊)、主な任務は教育作戦。

 

1944年(昭和19年)2月:人吉海軍航空隊出水分遣隊設置。主な任務は整備訓練教育。出水飛行場西端に兵舎・教練場等を設置し、整備訓練・教育に従事した。

1944年(昭和19年) 8月:出水第2海軍航空隊となる。

 

1944年(昭和19年)10月:第763海軍航空隊が出水で開隊。主な任務は実戦(特攻)。

 

1945年(昭和20年)2月11日:朝鮮半島の光州に退避のため解隊、諸施設を第763海軍航空隊に譲渡。光州海軍航空隊に再編して終戦まで部隊を維持した。

 

1945年(昭和20年)6月1日:第2航空隊は整備訓練教育を凍結。本土決戦用地上戦部隊(陸戦要員)となり同年7月10日に解隊した。訓練のみで終戦を迎えている。

 

 

 

出水海軍航空隊気象観測所

鹿児島県出水市上知識町410付近