海軍大社航空基地(第一新川基地)魚雷格納庫群
島根県出雲市
魚雷格納庫群は海軍大社航空基地(第一新川基地)から東へ約2キロの谷間にある。
この項、大日本者神國也さまのブログを参考に散策、記事にしました。ありがとうございました!
魚雷庫は7基つくられたとのこと。
私が行った谷でみたのは魚雷調整壕1基、魚雷庫4基だった。さらに東の谷(本響寺がある谷)に数個の地下壕(弾薬庫)があるようだが、ここは根性が無くて行かなかったw
1945年(昭和20年)5月
C08030562400/C08030562500
(アジア歴史センター)
によれば、美保基地受入が四式一号一型空雷、新川基地(大社基地)受入が九一式魚雷となっている。うむうむ。
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魚雷調整壕から。
新建川沿いの集会所裏にある。壕の出入口に土砂と伐採した枝などを積み重ねているが「立入禁止」ではないのでGO!
坑口は2カ所、Hの形で掘っていて内部でつながっている。奥の坑口は誰かが枝をびっちり積み上げているので、手前の壕口から入る。
(手前の坑口)
右は突き当たり(袋小路)なので左の方向に進む。左の坑道は横坑だ(Hの横棒部分)。
横坑(Hの横棒部分)は途中で屈曲しており、屈折部分から腰板のような感じでコンクリート巻立になっている。
四角の穴が整然と並ぶ。用途不明。
もうひとつの坑口に出た。枝で進入を妨害しているのが内部からもわかるネ。
直線の壕はコンクリート巻立だけで、横坑のような穴は開いていない。床は土のまま。
「工事途中で終戦を迎えました」という感じの内部。
ぎっしり枝が詰まった坑口をみる。
さて、戻ろう!
横坑を通って
脱出!
こちらの直線壕はコンクリート巻立が施されていない。工事途中だっったのかもしれない。
(奥の坑口は枝だらけ)
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新建川沿いの道を山に進んでいく。
魚雷庫壕だ。
持ち主にお伺いをたててからGO!
直線壕でした。
坑口から5メートルくらいまでがコンクリート巻で、残りは素掘り。奥行きは25メートルくらい。
最奥に到着。特に何もない。
戻ろう。
丸太を差していたのか?
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新建川沿いを更に山方向へ。
民家の川を挟んだ反対側の崖地にある水雷庫壕。
坑口から5メートルくらいまでがコンクリート巻で、残りは素掘り。奥行きは25メートルくらい。
直線壕だが途中でやや左に屈折する。ゴミだらけで奥には進めず(つきあたりは確認した)。
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新建川がいよいよ山間の小川になるY字路を、山道側にすこし進む。
坑口から5メートルくらいまでがコンクリート巻で、残りは素掘りだが、床は奥までコンクリートが打設され、きちんとした排水溝がある。
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Y字交差点に戻り右側を進む。
原っぱの先に魚雷庫壕があった。
よーーーーく探すとある。
この壕は「コの字型」
進入する。
キノコの栽培をやっていた残骸がある。だが水溜で進めないのでもうひとつの坑口から入ることにする。
坑口から奥にかけては泥が堆積しているが歩ける。照明施設は完備だが放置案件なので壊れている。
奥に進むと床の泥は消え、コンクリート床が現れた!
排水もばっちり(・∀・)
水たまりの坑口が見えてきた。
戻ろう。
躯体の溝はなんなんだろう?
探険おしまい。
※大日本者神國也様のブログを参考にいたしました。
ありがとうございます!
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海軍大社航空基地(第一新川基地)
1945年(昭和20年)2月、着工は翌月の3月15日(仮称新川海軍航空基地)。
6月8日に新川改め大社海軍航空基地として竣工。滑走路は1,500×60メートルで型枠作り工法コンクリート敷打設。これは西日本最大規模。現存する滑走路は全長600メートル×幅60メートルのみ。
中型無蓋掩体壕が45基・桜花格納庫30機分、魚雷格納壕が7基あった。とりあえずの完成後、終戦まで周辺に防御陣地をつくり続けていた。
(1947年米軍撮影)
横須賀鎭守府所管の特設飛行隊として編成された攻撃第501飛行隊、攻撃第501飛行隊特別攻撃隊、菊水部隊銀河隊などが在籍していた。
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海軍大社航空基地(第一新川基地)魚雷格納庫群
島根県出雲市斐川町神氷380付近