山田の凱旋門

 

1906年(明治39年)3月、山田村から日露戦役(日露戦争)に従軍した人たちの無事帰還を記念して、山田村兵事会が建設した凱旋門。

 

 

山田村からの従軍者は計113名(陸軍88名・海軍25名)。

 

 

石造、高さ4.7メートル、幅4.9メートル。縦60センチ×横21センチの江戸切仕上の石が組まれている。

 

 

この石を15段(高さ4.7メートル)に積んで門柱とし、約2.7メートルを開けて同じ門柱をつくり、門柱間に石アーチを架けて凱旋門風の構えを造っている。

 

 

 

 

アーチの上には121センチ×60センチの石版の銘板がはめ込まれている。

 

 

2001年に国の登録有形民俗文化財に登録された。

 

 

日本国内で現存する凱旋門は、静岡県の渋川凱旋紀念門を含めてわずか2基といわれている。

 

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100の石段を登ると奥に招魂社がある。

 

最初の階段を上がりきると、露式25糎演習弾(日露戦争時のロシア軍鹵獲品)が両脇に置かれている。同じ砲弾は長野県の塩尻歌碑公園にある忠魂碑に添えられている。

 

 

 

日清戦役・日露戦役手に入れた鹵獲品は、民間への無償下附として、主に砲弾や機雷や魚雷などが記念品として、神社、仏閣、学校、役場、博物館に贈られた。

 

 

招魂社には西南の役、日清、日露、大東亜戦争の眠れる勇士1,200柱が祀られている。

 

 

山田校区では毎年秋に「山田の里のかかし祭り」が開催されている。凱旋門の横にも2組のかかしが飾られている。完成度が高い!

 

 

 

山田の凱旋門
鹿児島県姶良市下名1178