宗谷臨時要塞宗谷砲台の弾薬庫
北海道稚内市
道路に程近い丘陵に掘られた横穴式の弾薬庫。
導入部は大口径のヒューム管(土管)をつなぎ合わせた構造。
通路を10メートル前後進むと、天井がとても高い空間に出る。
左手にモルタル塗りの四角い内庫(弾薬庫)があり、内庫の周囲を一周できる構造になっている。
(鍵がかかっており開かない)
戦後は地域住民の火薬保管庫になっていたようだ。
内庫(弾薬庫)には2方向からのアプローチがあるが、1方向は土嚢が積まれ塞がれている。
今みてきた弾薬庫は電柱のあたりに出入り口がある。写真右の獣道を辿ると、塞がれた出入り口の真上に出る。
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他の弾薬庫は行きにくいので、遠くからみるに止める。藪漕ぎは大変すぎて(*_*)
同じ形式の弾薬庫らしい
※要塞探訪様のブログを参考にいたしました
ありがとうございました!
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宗谷臨時要塞は、宗谷海峡の防備のため設置された大日本帝国陸軍の要塞。満州事変以後、ソ連海軍はウラジオストクの艦隊の増強を図った。有事になれば、海上交通路を遮断される危険性が高まる。
1940年(昭和15年)2月、宗谷海峡の両岸で砲台工事に着手、翌年9月に宗谷砲台と西能登呂砲台(樺太/サハリン)が竣工した。1941年(昭和16)年1月頃には、声問陣地と恵比須陣地(野寒布砲台)、稚内市内に司令部と陸軍病院がつくれている。司令部は戦後、稚内市立南町学校、陸軍病院は市立稚内こまどり病院になった。
宗谷臨時要塞の日本側の核となるのが宗谷砲台。宗谷丘陵の敷地内に連隊本部、大隊本部、15糎加農砲を扱う一個中隊分の兵舎、12糎榴弾砲を扱う一個中隊分の兵舎、観測所、発電所、砲床、各々の弾薬庫などを配した大規模な砲台だった。配備された主な砲は下記の通り。
96式15糎加農砲 - 4門
38式12糎榴弾砲 - 2門
38式野砲 - 6門
88式7糎野戦高射砲 - 2門
92式重機関銃(高射用具降車用付属)- 1門
93式150糎探照灯 - 1基
戦況が著しく悪化した1945年(昭和20年)7月、砲台を地下砲台(穹窖式砲台?)にする工事、および、要塞を防衛するための野戦陣地の構築のための工事に着手したが、これらは終戦により未完。
砲台の砲床は私有地(牧場内)で観察できず。通りかかったオッちゃんが言うには、「1つは貯水槽を乗せて、他は削った、牛が落ちるから」とのこと。
探照灯の位置は不明だが、ゲストハウスアルメリア辺りにあったかも(見晴らし最高)。
96式15糎加農砲の右翼側砲座があったとおもわれる場所。貯水槽がある。