ピンフ嶺(パナタガー嶺)の海軍砲台

宮古島

 

宮古島では野原岳に次ぐ標高95.4メートルのピンフ嶺(パナタガー嶺)の中腹に海軍の穹窖式砲台がある。

 

日本軍は米軍の上陸地点を、ピンフ嶺の北東の海岸一帯(佐川根湾方面)と予想し、1944年(昭和19年)末から海軍第313設営隊第2中隊第1小隊によって、ピンフ嶺に砲台やトーチカを含む複合陣地を構築している。

 

宮古島には砲台は4ヶ所構築された。

遺構としては平良砲台は消滅、友利砲台は爆破(密林の中に放置)、与那浜崎砲台は砲室爆破も観測室は現存?

 

この複合陣地には山砲兵第28連隊隷下の先島集団砲兵隊が駐屯していた、とのこと。

 

 

ピンフ嶺の山麓の広めの岩棚に、部隊が設置した水桶などがある。岩盤から湧き水が出ていた。

 

 

 

中腹へ向かって歩くと、石灰岩を掘り込んだ坑口が現れる。

 

 

壕口(坑口)の脇には守備隊の詰所?の空間もある

 

坑道は長さ約50メートル×幅3メートル×高さ2.4メートル

 

 

床は平坦、一直線ではなくやや屈曲しながらピンフ嶺北側へ貫通している。

 

坑道には左右(東西)に小部屋が4カ所ある。

いづれも奥行は2〜3メートル程。

 

退避壕なのか、即応弾薬置場なのか?小部屋がある

 

 

北側の開口部がみえてきた(・∀・)

 

 

 

突き当たりの北側開口部は、全面をコンクリートで補強された砲室だ。

 

 

ここに91式10センチ榴弾砲が備砲されていたようだ(戦艦の副砲説など諸説あり)。

コンクリート片の散乱で砲床は確認できず。

 

91式10センチ榴弾砲

 

砲口に進む

 

戦後、鉄泥棒が砲室のコンクリートから鉄筋を取り出すために削りまくり、そのコンクリート片が散乱している。

 

砲口は東の「白川浜」に向いている

 

 

 

 

鉄筋を抜いた跡が痛々しい(T_T)

 

 

天井部分には方形と円柱形の空気坑が上に突き抜ける。

 

砲室の入口、コンクリートで補強されているアーチ部。

 

西側へ分岐するコンクリート造りの17段の階段があり、観測所(見張所)の窓に通じる。

 

 

 

 

 

 

 

階段を降りる

 

 

 

 

 

名残惜しいが帰ろう

 

 

「この坑道の直上の南側、直径約1メートルの円筒型トーチカが上下に2基残っている」という話を聞き再訪。だがクワズイモや雑草が生い茂り発見に至らず。

 

出典:沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書第30集「沖縄県戦争遺跡詳細分布調査 (V) 宮古諸島編」、p.41

 

写真をみるとトーチカというより着弾監視哨のようにみえる。

 

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沖縄県宮古島市平良西原

福山ファーム(貯水タンク)のすぐそば

 

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