室蘭臨時要塞小橋内砲台および観測所

 

<米軍撮影>

 

室蘭臨時要塞は、室蘭港周辺にある工場群と港湾の防衛と津軽要塞の背面防御を目的として、1945年(昭和20)に建設工事が開始された。

 

絵鞆半島にある小橋内砲台は敵艦を迎撃するため、96式15センチ加農砲×1門と92式10センチ加農砲×1門の計2門据え付けて防備につく予定で、同年6月に第1砲座、翌月7月に第2砲座を完成させる。

 

<掩体を擬装するための土を取り除いたまま>

 

室蘭市近郊には噴火湾一帯の砂鉄、虻田(現在の洞爺湖町)の鉱山(鉄鉱石)、夕張炭鉱がある上に、室蘭港という天然の良港もある。

 

日露戦争以降、北海道唯一の銑鋼一貫製鉄所である日本製鋼所室蘭製作所(当時は大砲など重火器類を製造)、日本製鐵輪西製鉄所等の工場が建ち並ぶ重工業の町に発達した。それゆえ室蘭は戦略上重要な都市であり、戦争末期には連合軍の攻撃目標となる。

 

 

1945年(昭和20年)7月15日、米海軍艦艇が北海道室蘭市一帯に行った室蘭艦砲射撃。

 

<96式15センチ加農砲>

 

陸軍第77師団(苫小牧市)室蘭防衛隊隷下の第8独立警備隊が応戦を試みるが、米海軍艦隊は、小橋内砲台の首線とは向きが異なる方向/遠距離からの艦砲射撃だったため、無力だったとのこと。

 

<92式10センチ加農砲>

 

 

十五糎加農砲掩体

 

高さは約5メートル×厚さは約2メートル。中には96式15センチ加農砲と92式10センチ加農砲の2門が納まる砲座があった。入口と砲室部分が塞がれているため、内部の状況は不明。

 

 

「入り口から最奥部まで約40メートル、最高部は高さ2.78メートル。中央部から三方向に通路がありその先に4つの部屋があった。優に100人は収容できる広さ」とのこと。

 

 

戦後、975年まで内部を住居用に魔改装して住宅として使われていた。現在は山側の一部が取り壊されている。

 

 

砲台からみる噴火湾

 

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測量山は絵柄半島にあり標高約199m。測量山からは眼下に室蘭港や噴火湾、羊蹄山までもが一望できる。小橋内砲台は測量山の南側にある(徒歩30分弱)。

 

 

山頂をのぼりつめたところにある鉄塔の袂に要塞付属観測所の遺構がある。監視窓は上下2段は確認できるが、出入り口や観測窓がコンクリートで塞がれているため内部の状況は不明。

 

 

 

 

 

擬装網を掛けるフックだろうか?

 

 

 

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室蘭臨時要塞は、八丁平地区に室蘭飛行場をつくり(滑走路は長さ550メートル×幅60メートルの芝)、その周囲に高射砲陣地を構築。イタンキ浜から地球岬探索路がある崖地にも幾つかの防御陣地をつくっている。

 

 

 

小橋内砲台

室蘭市小橋内町1-28-32あたり