1945年(昭和20年)6月前後、滋賀県の米原駅から北へ1.5キロにある岩脇山の山麓に、蒸気機関車の退避壕の建設が開始された。施主は運輸省鉄道局。

 

 

米原駅は北陸線と東海道線が分岐・合流する重要な拠点。そこで輸送の要の蒸気機関車を、米軍機からの空襲から守るために、待避壕建設計画が立案されたようだ。軍事機密ゆえ詳細は周辺住民にも伝えられず、資料も残っていない。

 

米原駅からは転車台が使用不可になることを想定して、駅の北側と南側に短絡線であるデルタ線が敷設された。北側のデルタ線が岩脇山の麓を通る。

 

待避壕は2本、並列に掘っている。

坑道はおよそ130メートル。

 

比較的硬い岩石の山ゆえ工事は難航し、終戦で工事も終了した。戦後はゴミの不法投棄場になったが近年、有志により綺麗に整備されたm(_ _)m

 

<手前が貫通済みの東の待避壕、奥が未貫通の西の待避壕>

 

西側は南北から掘り進められ、南からは53メートル/北からは13メートルでストップ。貫通せず未完成のまま終戦となった。

 

西の待避壕、坑口

 

西の待避壕、坑口から中に入る

 

西の待避壕、北側は13メートルで工事終了(行き止まり)

 

西の待避壕、北側は13メートル掘った!

 

西の待避壕、北側から脱出。

 

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次は貫通している東の待避壕に入ってみる

 

立入禁止の札は外されていた(・∀・)

 

照明器具は見学会時に使用される(地元のおばちゃん談)。北側の坑口は水没しやすいので歩道を設置している。

お!

貫通しているので南側がみえる(・∀・)

 

 

貫通している方の東側の待避壕は、より工事が進んでいるせいか、坑道の高さも幅も十分ではないが、線路は敷設されていない。

 

戻ろう。

 

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正規のルート?である南側にまわってみた。南側には無人の資料館もあるし、何やら整備されている。

 

写真の左が未貫通の西の待避壕、右が隠れているけど貫通した東の待避壕

 

南側から見る未貫通の西の待避壕。南からは53メートル掘って終了。

せっかくなのでフェンス越しに撮影してみる。

 

南側から見る貫通している東の待避壕。

せっかくなのでフェンス越しに撮影。おお、反対側の光がみえる!待避壕の全長は130メートルだ。

 

東の待避壕の坑口から東海道線をみる。

 

 

 

 

待避壕見学(進入可)は北側にある「いをぎの家」前より。

滋賀県米原市岩脇24-1

稲荷神社の東側で岩屋善光堂登り口付近にある「資料館」のさらに東に、待避壕南側の出入り口をみられるがこちらは進入不可。