1944年(昭和19年)に完成した太東埼(太東岬)にある海軍技術研究所太東実験所(電探基地)を守るためにつくられたのが太東航空基地。

 

1945年(昭和20年)の終戦時の飛行場は、滑走路1,000x200メーターは未完。掩体を含む地下施設は工事中。

 

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地下壕を掘った残土を、半ば湿地帯であった滑走路の基礎に使ったとのこと(近所の爺さんの話)。

 

穹窖砲台と司令部壕は、太東埼灯台がある山の山腹の和泉地区にある。近くには海軍技術研究所太東実験所棟跡もあるが、こちらは現在は痕跡はなく、一部は造成地になっている。

 

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とある民家(廃墟)の庭を横断、土塁を越えると太東航空基地の穹窖砲台、さらに土塁を挟んで司令部壕がある。

 

で、で、デカい!

 

小型の有蓋掩体壕の大きさは十分にある。

 

格納庫壕の出入り口には、たぶん平らであったであろう直線の道、両側を低めの土塁で固めている。

 

穹窖砲台、工事中で敗戦をむかえた模様。

 

後方の坑道部分(弾薬置場/兵員待機所等)、2階建て??

 

うーーーむ、後方の坑道部分(弾薬置場/兵員待機所等)は2階建てだ。。。

 

後方の坑道部分(弾薬置場/兵員待機所等)から外を見る

 

壕の坑口部分には支保工の痕跡があるので、補強はされていたのだろう。

 

 

巨大な洞窟だった。

穹窖砲台の完成をみたかった・・・

 

千葉県いすみ市和泉

大正堤の近くの山中にあるが、廃墟とはいえ民家を横切らないと入れないため、具体的な場所は書きません。。