中学一年生か二年生からか ずっとずっと精神的な延命を続けている。病気とかではない。病気や身体の都合で透析や延命をしてる人には申し訳ないと思う。

自分で生きる理由や喜びを探して実感しないと、すぐに投げ出したくなってしまう。実際に傷をつけたことはまだないけど、直前まで行ったことは何度も何度も何度も何度もあった。 

成人式の後、祖父は体調を悪くした。 
あまり興味がなく、将棋の相手を断ったこと、また深く後悔したことを覚えている。
声も出せず、役目を終えたと判断し動かせず、弱っていく一方の四肢の真ん中に、透明な管がたくさん通っていた。口から物が食べれないからだ。 
それでも、祖父は自分がいなくなると自分が働き、払い続けた年金が大幅に貰えなくなってしまうことをわかっていたのか、ひたすらに延命措置をした。排泄物の世話をされ、高そうな将棋盤の横で、辛そうな顔をしていた。
その時目の前でやるべき事と、やりたいことを秤にかけて、甘えん坊な癖に図太い俺はやりたい事を優先した。
もはや自分の意志では何も出来ない祖父を見て、祖父に対する感謝、畏怖の感覚と、自分に対する可愛さが大きくなったことも覚えている。 

嬉しくて、楽しくて、暖かいとき、生きることが如何に素晴らしいかを考えて、ストックしておかないと、そうじゃない時の生きる理由が全く見当たらなくなってしまう時がある。 
25年間をなんとか生きてきた気がしてたけど、全く取れてないバランスを、周りの人によって支えてもらっていただけだった。 
父の好きな言葉は、一か八か、だった。
母親似の俺が気に入らなかったのかはわからないけど、父は自分の遺伝子として、バランス感覚を与えたのかもしれない。
こうやって人のせいにする性質を与えたのかもしれない。 

今日も野面でのうのうと、なんとか生きてます。

雨がとても好きです。

夏の雨も、冬の雨もどちらも良い。

濡れながら歩いている時は「今降るかー、、今かー、、」等と思うのですが。

湿度が高くなって、肌で感じる空気や、匂いなどがモコモコしていて、アスファルト、土、地面や壁がひたひたになっているあの感じがとても好きです。街灯や看板、信号に照らされる路面がきらきらしている感じもとてもいい。

雨が上がって、特に夏の間はそうですが、モコモコ感から空気が少しだけ乾いて、抵抗も薄く、涼しい風の中を歩くと、理由がなくともなくすっきりとします。

鼻から思い切り空気を吸いたくなります。 

そんな午後でした。


こんな日々、すぐ忘れると4周目の人は言っていた。

日々が忙しくなるから、すぐに通り過ぎると。

しかし、
何も考えられない馬鹿だと思われたくないから、何処かで忘れないようにしている自分がいる。

ああ、
道路がとても広くて、コンビニのレジで買い物をしたけど、お釣りの計算がうまくできず、まごついた。煙草を買い、一緒にライターを買うのを忘れたけど、とりあえず外に出て走った。歩道はいつも狭いと思っていたけど、とても広かった。ランニングシューズでアスファルトを踏み、蹴り、飛び歩く感覚がとても気持ちよかった。次の日、太ももが筋肉痛になった。長袖はもう暑い。

磨りガラス越しの陽光ではなくて、直射日光。眩しさと、風の匂い、江戸川区の川沿い、土手の匂い。ライターを買った。
あれほど夕日を見たいと思っていたのに、直視できない。涙が溢れ出てくる。
煙草に火をつける。クラクラした。


会わなきゃいけない人、会いたい人がたくさんいた。
一番大切な人は、この世界で一番優しい人だった。仲間は、変わらずに居てくれていた。
慕っている人も、同じだった。
嬉しくて、心の底から嬉しくて、とても居心地が悪かった。そのままの自分でいては絶対にいけない気がした。

誰も俺の価値を決めれないし、俺は俺の価値を驕らずに、しかし高く評価してる。何があっても、一番大切な事は自分が自分らしくいる事だと思っている。

自分がしたことは絶対に戻せない。
20歳の時にした、大きな間違いと、これで2度目。
飲み込める部分と、そうではない部分があるが、たくさんの人に迷惑をかけてしまった。結局、馬鹿だった。今も。


変わった部分がある。
大事な何かが、枯れてしまった。
元々、楕円形な形の人格は、線が細くなったように感じる。でも、我慢強くはなった。
時間に対する意識も、大きく変わった。

何も諦めた訳ではない。約10年、未来を変えるつもりで続けてきた。
信念か、執着かは既にわからなくなってる。それでも、やらなければ0だという事はわかるから、やってる。

あの時から、未来は変わった。
望んだ変化ではなかったけど、確かに変わった。

これからも変えていくつもり。
もう絶対に間違えない。