だらだらと続いた レッツゴー! 666ツーリング♪
いつのまにか話数が増えてましたが気にしない♪
(゚ε゚)ノ
で、福島南端の勿来(なこそ)市街地から山間部を越えて帰るコトに致します
日も暮れて真っ暗な山中
ホント、民家がたま~に点在するぐらいで休憩したくても暗いわ寒いわおっかないわで止まりたくない様相w
さかし、走れど走れど山が越えられないw
どんだけ山深いんだよw
1時間以上走り続け、やっと人の気配を感じられる辺りで見付けたコチラ!
小野田自然塾 ←
小野田自然塾と言ったらこちらのお方が創設された施設であります!
日本陸軍
小野田寛郎少尉殿
(`・ω・´)ゞ
太平洋戦争終戦を知りつつも命令には背く事は出来ず、フィリピン・ルバング島での秘密諜報(スパイ)作戦任務を続けられていました
1970年代、元日本兵の生き残りがゲリラ活動をしている噂を聞きつけた冒険家によって小野田さんを発見
冒険家からの連絡により、元上官からの作戦終了命令を受け
終戦から 29年後 に日本に帰還された奇跡の方であります
小野田氏を 日本のランボー なんて言う人も居ますね
まぁ、映画では流れ者のランボーに対し、町の秩序を守る正義感溢れる保安官に対して職質された腹いせの逆恨みでふてくされて過去のトラウマ引き出されて八つ当たり
「一人だけの戦争」
をやらかしたのであって、小野田さんには到底敵う訳がない
ランボーの元となった作品名が 「一人だけの戦争」 )
29年間
お疲れ様でした
29年間、ジャングルに潜んで戦っていた小野田さん
この目には勝てそうにないわ・・・
日本に帰還し、奇跡の経済復興を遂げた日本を目の当たりにするも、戦前から戦時中とはすっかり変わり果ててしまった日本に馴染む事が出来ず、単身ブラジルへ渡り牧場経営で成功
大成した私財を惜しむコト無く、日本の子供達の健全な育成の為に尽くされました
小野田自然塾に参加した子供達に囲まれ、すっかり優しそうなお爺ちゃんの顔になっております
(しかし、子供達に笑顔が無いのがポイントw)
コチラの 小野田自然塾
至れり尽くせりの施設で、楽しく週末アウトドアキャンプ♪
なんて甘っちょろいモンでは無い模様・・・
食料確保の為、木の根を磨り潰して抽出した弱毒成分を川に流し、身動き取れない魚を採るとか
(犯罪ちゃうんか!?wwwwww)
川を塞き止め、畑に流した水が土に染み込んで残った魚を取らせるとかwww
(戦地では手榴弾を投げ込むのが手っ取り早い模様)
畑の所有者に無許可でやったもんだから、後でこっぴどく叱られた模様www
初年度は余りの過酷さに離脱する親子が続出し、翌年からは手加減された模様www
元気なジ様だわw
戦中から戦後迄 日本の為 私達の為に尽くされた小野田さん、2014年 1月16日、91歳で亡くなられました
(-人-)
今回は色々と考えさせられるツーリングでありましたよ
で、福島南部から茨城方面は何か起きたんジャマイカ?
ってぐらいに人すんで無ぇわ暗いわ寒いわで散々な目に会いました♪
道の駅 奥久慈だいご
コチラでやっと一息つけました♪
(´ー`)y-~~
ココは以前、栃木・福島県連と原付ツーリングで立ち寄った場所
隣にガソリンスタンンド有るのに寄るのめんどくさくて、ヴェスパでそのまま走ったら八溝山の峠道で見事にガス欠w
CL90のシゲちゃんにガソリン分けて貰ったのは懐かしい思い出♪
( ´ー`).。*・゚゚
昼にラーメン食ってシゲちゃんに餃子奢ってたら、ヴェスパに付けてたバッグをカラスに突っつかれてたのは悔しかった思い出w
駐輪場テキト~過ぎだっぺよ
段差は有るし階段の下って・・・
何処でもバイクは嫌われるんですねw
まぁ気持ちは分かります
で、やっとの思いで栃木県内へ…

さむい
(((((;゚Д゚;)))))
昼間はそこそこ暖かかったのに日が暮れると途端に冷えて来やがった
もう3月末だっつぅのにガタガタ震えが来るぐらいw
しかし、コチラの自販機群
以前は有線放送の演歌が流れて居心地悪かった場所
今回、80年代ポップスが流れてるもんだからついつい長居しちゃいましたw
松田聖子 「青い珊瑚礁」
を聞き終えたら帰宅へ
しかし、まだ今回の任務を完了していないので家の廻りをチョロッと走って巡回して距離合わせ♪
1999年型 SR-500
新車購入17目にして、666666キロ達成!!
(`・ω・´)ゞ
まだまだ走りますよ!!
レッツゴー! 666ツーリング
無事任務完了、338キロの色々と濃いツーリングでありました
(´∀`)ゞ 冬場に比べ、燃費がリッター3キロプラス、23キロでした♪
7万キロとか7万7千777キロとかしつこくやります♪