「ふ」号作戦 1/2 | マギィのだいじょぶっス!ブログ

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レッツゴー 666ツーリング   続編であります

今回はツーリングだけでは無く、今も残る太平洋戦争時代の遺構を訪ねました
(`・ω・´)


大津港から平潟港に向かう途中に有る石碑…



海沿いの風光明媚な風景の中に佇んでおります

以前の北茨城ツーリングの際に  「くま殿」 から教えて頂いた場所であります





風船爆弾放流地端




わすれじ平和の碑



新しい誓い

海のかなた、大空のかなたへ
消えて行った 青い気球よ あれは幻か
今はもう呪いと殺意の武器はいらない
青い気球よさようなら
さようなら戦争


(´; ω ;`)  




茨城県 大津港から程近いコチラヘやって参りました

大津港から平潟港へ北上する海沿いのルートに建立されております


日本軍が太平洋戦争末期に作った、ハイテク秘密兵器


風船爆弾


風船爆弾の 「ふ」 で  ふ」号作戦


主に 和紙とコンニャク芋のデンプン(苛性ソーダで補強)
で 作った風船に爆弾3つを付けて、1万数千キロ離れたアメリカ本土に向けて放ちます



ココから海の向こうのアメリカへ風船爆弾が飛んで行ったんですねぇ…
( ´ー`).。*・゚゚


和紙とコンニャク芋で作り上げたのを馬鹿にしちゃいけません!

物資が困窮していたからでは無く
長距離を飛ばせる材質の風船を作り上げるコトが当時の 日本以外の他国には出来ない のと、
アメリカ本土へ到着する2~3日の間、ジェット気流が吹く  一定の高度を自動的に保つ技術力が無かった からであります



(`・ω・´)ゞ   戦争は良くないが、俺ラのジィ様達って凄い!!


当時、女学生だった福島・茨城の姉ちゃん達が風船爆弾の製造に励んでおられました

そんなうら若き女学生
今では自分のコトを 「オレ」 って言うのは北関東から東北のバァ様にありがちなこと



(風船爆弾の画像)

種植えから収穫まで数年掛かる蒟蒻芋

当時、蒟蒻芋採りまくって1万発近くも風船作ったから、その後数年はコンニャクが作れなかった模様w
(こ~言う行き過ぎちゃうトコロが日本人っぽい)



平和の碑前には風船爆弾について詳しく説明する案内板が置かれています


風船爆弾でアメリカを爆撃して破壊するのが目的ではありません

当初はまさか日本から飛んで来たなんて思っていない、謎の風船による爆弾テロ事件

アメリカ側は反乱分子によるアメリカ国内でのテロやゲリラ活動
毒ガス・生物兵器の使用に対しての警戒の他に後方攪乱、戦力の分散
周辺諸島やアメリカ本土に上陸した日本軍からの攻撃なのか?

と、アメリカ国民に心理的ダメージを与える作戦でありました
(箝口令が敷かれ、殆どのアメリカ国民は戦後まで知らなかった)



当時、アメリカ側は日本からアメリカに吹く偏西風・ジェット気流の存在を知らず、まさか日本から風船爆弾を送ったとは当初は気付かなかった模様


しかし、アメリカ側がバラストに詰められた砂の地質を分析した所、放球場所の一つである千葉からの砂と特定


アメリカは大戦中には日本の地質をすでに把握していたのです


砂だけで日本本土から放っているコト分かってしまうのが流石アメリカ様であります




アメリカ軍の戦闘機に取り付けられたガンカメラからの画像、撃墜される風船爆弾


他国の軍隊がアメリカ本土に攻撃出来たのは未だに日本軍だけ

無人の風船爆弾の他には、潜水艦に分解した水上飛行機を載せてカルフォルニア沖まで潜航…
浮上後、洋上で飛行機を組み立てて陸地を爆撃後は潜水艦に戻り、無事に帰還した飛行機乗り2名のみであります










やるコトがイチイチ凄過ぎるぞ日本軍



平和の碑近くには風船爆弾放球跡地が今でも残ってるそうでして、この後に行って見るコトに致します!





よくよく見ると風船爆弾のイラストの後ろに黒いトンネルみたいなのが見える!!







今では埋められてしまった
風船爆弾の格納庫なのか!?










俺のあたまだったわwwww

風船爆弾とマギィちゃんの頭が似てるとかじゃなくて、マギィちゃんのシルエットが案内板に写り込んでそう見えちゃったんだ…

真面目に書こうとしてますが、どうしてもこうなってしまいます…

(´・ω・`)ゞ
次回、放球跡地を訪ねます