本日もご訪問をありがとうございます。
昨日、母(ご先祖様も)の墓参りに行きました。
何度も書いていますが、
両親から褒められたことはあまりありません。
母にはけなされたり、呆れられたり、
ひどい言い方をされたことがあります。
心に傷がハッキリくっきり残っています。
でも、母との関係が悪かったかといえば、
そんなことは全くありませんでした。
母はよく話を聞いてくれる人でした。
母の料理中、私は延々と喋っていました。
本当に、何でも話していました。
それをずっと聞いてくれていました。
聞き流しているのではなく、
ちゃんと聞いていました。
私の異変にもすぐ気付きました。
イジメにあい始めてすぐ、こっそり学校に連絡し、
早々に解決してもらえました。
母は働いているのに、
お惣菜をほとんど買いませんでした。
罪悪感を感じたそうです。
シメサバも塩辛もなまこ酢も手作りでした。
ナマコを捌くところからなので、台所にあったナマコを見て
私は悲鳴をあげたことがあります
料理番組で見た美味しそうな物を、
手間暇をかけて作っていました。
料理はとても上手でした。
美味しくなかったのは手作りのめんつゆだけです。
買えばいいのに勘で作るから・・・
洋裁学校に通ったらしく、洋裁は得意でした。
普段用の服はもちろん、
エレクトーンの発表会の服も作ってくれました。
買って欲しかったけど…
ワンピースとボレロ
母は若かりし頃、常に学年トップの成績で、
他の部活からヘルプで大会出場依頼が来るほど、
運動神経も抜群だったそうです。
でも高校時代に、扁桃腺炎から
腎臓を悪くし長期入院。
弱りきった状態で扁桃腺切除術を受けたので、
麻酔は気持ち程度
ほぼ意識がある状態で、座った姿勢での手術。
拷問のようだったそうです。
出席日数の関係で進級できず退学。
父と出会い結婚したものの、今で言うモラハラ夫。
(あの時代はみんなそうだったかもしれませんが)
結婚から2年程、祖父の介護もしました。
反対されながらもパート勤務を始め、
家事の手抜きをしませんでした。
出来なかったのかも
社員に抜擢され、定年近くまで働きました。
子育てを終えたところで、
憧れの田舎暮らしをするために、
海外出張ばかりの父を説得して家を探し、
一人で業者とやり取り、リフォームの手配をし、
老後の生活基盤を整えました。
最初は週末を過ごすだけの通いの田舎暮らし。
父の定年を待って移住したような気がします。
夫婦で協力して畑仕事や家事をして・・・。
という楽しい生活を想像していたのに、
風呂洗いと畑の水やり以外、
父は協力しませんでした。
「田舎暮らしをしたいのはお母さんで、
俺が言い出したんじゃない。」
と言って、自室に篭っていました。
いつからか洗濯もするようにはなっていましたが。
母はほとんどの家事をこなし、
畑仕事をし、陶芸や絵手紙を習い、
目の回るような忙しさだったそうです。
「そんなに忙しくして
何のために田舎に越して来たの?」
と田舎の人に言われたとか。
子どもたちが小さい頃、親孝行と思って、
盆暮正月に帰省しましたが、
「何も手伝わない」と文句を言われました。
手伝えなかった時期もありますが、
帰省した時くらい…と楽をしたのも事実です
帰省するたびに文句を言われる感じで、
帰省をやめようかと迷ったものです。
そのうちに、帰省するたびに父の愚痴を聞かされ、
父からは田舎暮らしの愚痴を
聞かされるようになり、
自分の悪口を言われてると勘違いした母に、
「なんで二人して私の悪口を言うんだ」
とブチギレられ、本当に実家に
近寄るのをやめようかと思ったこともあります。
大変過ぎたんでしょうね。
帰省の回数を減らすべきだったのでしょうか。
どんどん成長する子どもたちを見せたかった、
という安易な気持ちで、
私は気配りが出来ていなかったのかな。
結婚できないと思った娘は何とか結婚し、
孫を見ることもできたけれど、
娘は自分勝手でちっとも手伝わないし、
夫のせいで笑顔あふれる家庭ではなかったし、
息子は娘と夫とトラブって出ていっちゃうし、
ずっと生活に余裕はなかったし、
子どもたちが自立した後も夫は非協力的で、
いつの時代もヘトヘトで、
これから楽しくなるはずだったのに、
65歳で死んじゃうなんて、
私の人生、こんなはずじゃなかった…
と思っていたら悲しいな…
母はどんな人生を計画して
生まれて来たのでしょう。
今世での学びを終えたから
この世を去ったのでしょうが、
ちゃんと楽しめたのかな・・・。
「女だからって大学に行きたい私が行けなくて
行きたくない弟が行くなんて不公平だ!」
と私は散々言いました。
立て替えてもらった車のローンを、
結婚を機にチャラにしてくれたり、
家を買う時に援助してくれたり、
結果的に弟より手厚くしてもらいました。
(頼んだわけじゃないですよ)
本当はお金を出して欲しかったのではなくて、
平等にして欲しかっただけなんです。
私にばかり我慢させないでよ。
弟にも公平に我慢させてよ。
私にも選択肢を与えてよ…と言う感じです。
多分…
私のわがままで苦しめたのだろうか。
ちゃんと人生を楽しめたのだろうか。
母の来世はご褒美の人生であって欲しい。
そんなことを思い、帰宅後、感謝が溢れました。
でも、ひたすら申し訳ない気持ちも溢れています。
お母さん
長い間、本当にありがとう。
亡くなってからも
恨み言をいっぱい言ってごめんね。
こんなにも長い間、
気持ちの整理ができなくてごめんね。
小さい頃、「若くて美人なお母さんがよかった」
なんて言ってごめんね。
悪気はなかったよ、多分…
私はお母さんのように我慢の人生にしないよ。
もうこんな年になっちゃったけど、
私は我慢したまま死なないように頑張る。
亡くなってもうすぐ13年になるけれど、
やっとお母さんの写真を見れるかも。
飾らないけどね(笑)
来世は我が子をこれでもかと
褒めてやってください。
投げかける言葉は少し選んでください。
平等に与えてください。そうしたら完璧です。
そして、経済的に苦労しない人生を、
楽しい人生を選んで来てください。
なんか、そんな感じ。
母に対する恨み言はもうおしまいかな。
そうあって欲しいです。
長〜くてつまらない話を
最後までお読みいただき、
本当にありがとうございます
