7月8日に安倍晋三元総理大臣が凶弾に倒れました。痛惜の念に耐えません。偉大なるご功績とこれまでのご厚情に心から敬意を表し、ご冥福をお祈りします。

 

私が政治家を目指す決断をした直後に岳父の町村信孝が脳梗塞で急逝しました。平成24年総裁選では町村と敵味方に分かれて争った安倍さんでしたが、町村の枕元で「町村さんの遺志は必ず守る」と言って、私が諦めかけた政治家への道を力強く支えて下さいました。

 

困った時には親身に相談に乗って下さいました。最初の補欠選挙の時には何百人という方に自ら電話をかけて、地元の支援者さんが驚いていました。選挙のみならず、パーティーや講演等でもよくお越しいただき激励して下さいました。とにかく面倒見の良い方でした。

 

会合ではウィットに富んだ冗談を交えつつも、日本としてあるべき姿を明確に論じる方でした。町村が外務大臣時代に「町村プラン」の中で提唱した「平和安全法制」と「特定秘密保護法」。安倍さんはメディア批判に屈せず、大規模なデモをも恐れず、「国家国民を守り抜く」との鋼の意志で牽引し、国会で成立させました。国家安全保障局を設立し、経済安全保障政策にも大きく踏み込んだ功績は極めて大きかったと思います。

 

中国、ロシア、北朝鮮に隣接していながら国防やインテリジェンスの体制が脆弱な日本。今現在ですらG7諸国に「自らを守る覚悟があるのか?」と半ば呆れられているのが現状です。「平和安全法制」と「特定秘密保護法」という国家の最低条件すら満たしていなかったら、今頃日米同盟やG7との信頼関係はどうなっていたか・・・考えただけで背筋が凍ります。

 

国民生活においては、幼児教育の無償化、最低賃金の毎年の引き上げ、幼児教育・保育・介護従事者の処遇改善、返済不要の奨学金の拡充、男性育休推進などを断行し、国民生活の向上に大きく寄与しました。

 

国を守るため、国民の幸福のためには国家として積極的に投資をするべきとの信念を貫き、国家予算の概念を大きく変えました。その他、外交、経済などご功績を挙げればきりがありません。

 

批判を恐れずやるべきことを自ら先頭に立ってやり抜くこと、果敢に挑戦すること・・・甚だ力不足ではありますが、遺された我々が「闘う政治家」の精神を受け継ぎ、頑張って参ります。

 

↑私の選挙にも北海道まで応援に駆けつけてくださいました