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YOSHI DESIGN

design art jazz movie kabuki fashion



この間、ショッピングモールでラルフ・ローレンの店舗をのぞいたら

相変わらずの世界観が満載だった。これは恐らく世界中どの店舗も同じなのだろう。

よくいえば一貫性がある。少々言わしてもらえばベタだ。

デザインやテイストは良いけど、何か単純な感じがする。

この感覚は何かなと思っていたら、そうディズニーランドの感じだ。

テーマパークにいるようなあの感覚。

ファンタジーを現実化している世界。

ディスプレイを眺めているだけでワクワクしてきて

7万円のカシミアセーター1枚お買い上げになれば(買わないけど)、

あなたもこの世界の一員になれますよというわけだ。

ヨーロッパのステイタスブランド店のようなプレッシャーも無いし

フレンドリーなところも居心地がいいしね。

わかりやすい上流階級、

わかりやすいエレガンス

わかりやすい価格(高いけど)が

全館をつらぬいている、まさしくテーマパーク。

ラルフ・ローレンの直営店は世界で505店舗あるので

文化の覇権主義とまで言わないが、アメリカ文化の快進撃でありますね。


クラススポーツのイメージが実に上手です


一消費者として長年、ラルフローレンを愛好してきた私も

テーマパークで踊っていた一人でありまして

特にディスプレイのコーディネイトや、雑誌広告の世界観に

浸って楽しんでいたわけであります。

今でも好きだけど、最近は何だかほどほどな感じかな。


ラルフ・ローレンの師匠と言われているモートン・シルズが

80年代の彼に対して結構辛口な批評をしていたのがとても興味深い。

「ラルフという人間は、複雑にできていないんだ」

「とても単純だ。人はそれなりの服装をすれば、貴族にでもなれると

 信じている。自分の客が、ゴッホとレジェの区別がつかないような連中でも

 一向にかまわない。ポロの打球槌(だきゅうつち=スティックのこと)を持ち

 彼の香水を耳の後ろにつければ、それでいいと思っている。だがそれは

 とても皮肉なことだ。その夢には現実による支えがないからだ。

 ラルフは、哲学的にも政治的にも成熟していないし、人生観や価値観もろくに

 持っていない。妻や子供は愛しているかもしれない。しかし、いったい彼自身は

 どんな世界に住んでいるというのだ?」

いやいやスゴイですね。師匠なりの愛情を込めた批評ですけどボロクソ。

なんだか自分にも言われてる気がしてきました。

上流階級の片側しか見ていないと言っているんですね。

私は片側すら見ていませんが・・・

すべてが作り物のエンターティメントだと、

逆にエネルギーが吸い取られてしまうよと言われているようだ。

だけどそれに気がつかないこともあるので

物事は一面だけを見るのでは無く、多面性を見ないとダメってことかな。

ん〜ただのファッションのお楽しみが重くなてきたな。


フォックスハンティングはまさに貴族の世界観


 「ラルフは今日の消費社会の反映そのものだ」

 「このままで社会でやっていけるというなら、ラルフはまぎれない成功例だし

  世の中は失業も心身の健康も防衛予算もこの路線で取り組んで行くことになるだろう。

  これらは全て関連している。ラルフの服を買っている人たちが、この社会構造を

  支えているのだ。これは広告とは何か。PRとは、そしてイメージ機構がいかに

  威力を発揮するものかを反映した現象だ」

広告やイメージ機構なんて確信をついていますね。まさしくそれに踊らされてる私です・・・

ゴッホとレジェの区別はつきますけど、現実とイメージが乖離している私です・・・

単純にできているのは私か。やっぱり。


クラシックカーとの真面目なコーディネィトだ


服を着ることによって貴族になるとか上流階級を気取るとかを

本気で思っている人は少ないだろう。

だからと言ってそれを真っ向から否定している人も少ないと思う。

それはそれ、これはこれと適当に見え隠れしている気分が

今の時代だろう。

そう思うと伝統的な上流の美意識を抜きだした

ラルフ・ローレンのベタ感は

ポップなシン・クラシックのスタイリングを創ろうとしているとも思える。

それは単純に見えるけど、単純ではない。


引用文献:「ラルフ・ローレン物語」ジェフリー・A・トラクテンバーグ 著 片岡みい子 訳


ここに1枚の写真がある。

幼児洗礼を終えた家族の記念写真だ。

まぁ、日本でいうお宮参りみたいなもので、

子供の健やかな成長のために、神の祝福を願っている欧米での習慣ですね。

これキリスト教のパンフレットと違うのは

モデルさんの服に価格が表示されているのです。



実は1987年のポール・スチュワートのカタログなのです。

「装いとは、心の平安に出会うこと」という哲学的なコンセプトで

一流の服装を提示しているところが、上層階級向けでありますね。

上層階級、そうワスプであります。

ワスプとは、White, Angro-Saxon, Protestant

ホワイト、アングロサクソン、プロテスタントの頭文字をとった略称で

白人でアングロサクソン系のプロテスタント信者であることの意味。

アメリカ合衆国建国の主体となったイギリスからやってきた人々の子孫で

中・上層階級を形成している人たちだ。

ワスプの男子は、ハーバードやイェールの一流大学、女子はセブンシスターズとして

知られる東部七大学で学び、弁護士や、医者などのエリートとなって

アメリカ合衆国の上層部を占めているという流れになっています。



そのワスプの服装を代々、形作っていったのが、

老舗のブルックス・ブラザースやポール・スチュワートなのであります。

なのでカタログのビジュアルも上層階級のイメージで

アメリカン・トラディショナルを打ち出しているわけですね。

そしてそれがある意味、他の移民系との対立も表面化してきた時代となっていくと、

非WASPとの協調性も打ち出さなければならない

エリートのトップたちは、WASPの象徴であるボタンダウンのシャツを

公では着用しないくらいに気遣いする様になっていくのです。

アメリカ合衆国の歴代の大統領が誰一人

ボタンダウンシャツを着用していないのも、それが理由です。

(引用写真)


ラルフ・ローレンの母親でさえ

「私はユダヤの名誉がほしいんです。有名になっても息子にユダヤ人であることを

 忘れないでほしい。ラルフがワスプの格好をするのはかまわないが

 人格が心配だ」と言っている。

それくらいワスプの服装というメッセージ性が強いわけですね。

しかし現代ではさまざまな人種が混合してきているので

ワスプそのものが減少しています。

東京でピュアな江戸っ子が少なくなってきているのと同じように

アメリカン・トラディショナル イコール ワスプという図式も

薄れてきているのが現代のアメリカなのでしょう。

(引用写真)

そしてラルフ・ローレンは今期、黒人大学である

モアハウス・カレッジ、スペルマン・カレッジの2校とパートナーシップ契約を

締結してコレクションを発表した。

今やワスプだけのアメリカン・トラディショナルではなくなったわけだ。

多様性の時代っていう奴かもしれないけれど

それは服そのものが、もともと持っているものに気がついたとも言える。

自由ってことにね。
デザイナーでもあり、服飾評論家のアラン・フラッサーは、ラルフ・ローレンについて

「ラルフは決してファッションの世界に入りたかったわけではない。

 彼は自分自身のスタイルを表現したかったのだ。そこに大きな違いがある」

と語っている。


アラン・フラッサー(引用写真)


大きな違いとは何か?

デザイナーという仕事が、新しいものを創造するという視点だけで見られる事だ。

今まで見たことのない形や素材の提案が認められていくことが重要で

新しくなければ価値がないと評価されてしまう。

「オリジナル」「クリエィティブ」「ユニーク」と言った

言葉が出てくることをデザイナーに望んでいて

デザイナーもそれに答えようと努力している。

イブ・サンローランのパンタロンスーツや、ジョルジョ・アルマーニのソフトスーツなどは

今までのスーツの概念に新風を吹き込んだという点で

まさにファッション・デザイナーが評価された仕事だ。

では、ラルフ・ロレーンは?

彼のデザインは、英国のクラシックな世界観をベースにした発想がメインとなっている。

グレンチェックやタータンチェックを使用したデザインが多く見られるのがそれで、

表面的には、クラシックデザインを借用した焼き直しに見えてしまう。

これが一般的にデザイナーというよりはスタイリストと呼ばれてしまう由縁だろう。

だが彼にとって重要なのは世界観であって、個々のデザインされた服や服飾品は

それを伝えるための媒体(メディア)なのだろう。

趣味とスタイルの質の良さを現代的に提示したいというのがコンセプトで

ファッションとは違う「大きな違い」がそこにある。



若き日のラルフ・ローレン。(引用写真)
ネイビーブレザーにタッターソールのベスト。実に英国調だ。


「上手な着こなし方を教えること。その場しのぎではなく、先々まで役に立つ

 ワードローブを構築させること」がポリシーだとも言っている。

これは、英国を含む欧米では伝統的な考え方であるが

彼は上流階級だけではなく一般にも広く伝導したかったのだろう。

ブルックス・ブラザースやポール・スチュワートの持つ伝統の良さに

躍動感を加えて、さらに洗練させたのだ。

60年代、何から何まで型が決まっていてデザイナーがデザインする余地の無かった

袋の様な形した質実貢献なスーツ。その伝統の本質である

エレガンスを抽出させたデザインを作り上げたのがラルフ・ローレンのスーツだ。


例えが大げさかも知れないが

律法と戒律を守ることが信仰の要だったユダヤ教に

愛を信仰の本質として見出したユダヤ教の改革者であるイエスと

構造がよく似ている。


本質を捉えていれば英国風アメリカンだろうと

クラシコ・イタリアだろうと形には惑わされなくなる。

ラルフ・ローレンのエレガンスはそんなことを教えてくれる。



参考文献:「ラルフ・ローレン物語」
     「THE RAKE」
昨年からフッとしたきっかけで、同世代の友人ができ

ジャズのライブを楽しんだり茅ヶ崎界隈で飲んだりしている。

彼は地元湘南の名門校出身で、国立大学を卒業した、なかなかの秀才だが

気さくな性格なので気負いなく付き合わせてもらっている。

また彼の同級生、そう名門校の同窓会にも呼んでいただき

美女たちを含むエリートな方々の中で

すっかりニセモノ同窓生になって楽しませてもらっている私でございます。


あるときジャズライブの帰りに彼らと一杯飲っていたら

不良学生、いわゆるツッパリくんの話になり、

いたよなぁリーゼントなビーバップハイスクール♪と懐かしがって言ったら

彼らの学校には一人もいなかったと言われてしまい、

えっ?そうなの。「どうして?」とつい聞いてしまった。

「そんな連中が入れるわけないじゃん」と。

おお、そうか、だよな と

自分の偏差値のレベルとともに納得してしまった・・・



イメージ写真です。ビーバップってジャズ用語なんだけどなぁ〜


私は高専(5年制の工業高等専門学校のこと)の出身で、専攻が工業デザインで

クラスは1クラスしか無く、40人程度なので、競争率も3倍以上もあったせいか

結構、選ばれたんだぜ!みたいなつまらん気負いみたいのがあったのですが、

実際入学してみると大したことなくて、

そのツッパリくんも5人くらいはいましたね。

デザイナーになるのが目的なのに

なんでこんな連中がいるのと思ったものでした。

まぁ、よその高校ほど不良レベルが高くないので大したことなかったのですが

周りの学校のツッパリくんの活動が活発だったので

下校中にカツアゲされたり、顔面に青タン食らって登校してきたり

なんていうのもあったりして、

日常的にツッパリくんと共存していた青春でしたね。


なので、それが全くない青春時代って、同世代なのに別次元だなと思えてしまう。

彼らはクラスが9組ぐらいあったと聞いていたので、1クラス40人とすると

1学年360人で、その半分が男子生徒とすると

180人に対してツッパリくんがゼロ。

こちらは40人に対して5人。12.5%!消費税より多い!(・・)

これが人生にどう影響しているのか分かりませんが

価値観の違うヤツと共存していたことは、その違いをお互いに削りうことで

何かが活性化していた様な気がするけどな。劣等生の言い訳かな。




そんなことを思っていたら、この「営繕さんの幸せドリル」という本の中で

「会社の素晴らしさは、話の合わない人たちが集える唯一のコミュニティ」 と

書いてあった。

こういう自己啓発みたいな本は説教くさいので消極的なのですが

読みやすく面白かったので半日で完読してしまいました。

三井商産株式会社の営繕係のおじいさんの言葉が次から次へと炸裂します。

「会社という場所が無くなったら、どうやって話の合わない相手と話し合う

 機会を作る?」と。誰も合わないヤツと積極的にはならないだろう思いきや

「ヒッピーは同じ意見、同じ趣味の人たちばかりの生活に飽きたから消滅した」と

切り返され、さらには

「人間の唯一の使命は生きている間に一つでも多くの違う価値観と触れ合うことじゃ」

と使命感にまで持っていかれ

「人間は一つの種類に揃えようとする。公園の芝生、杉の植林がそうじゃ。

 たった一つの種類で集まろうとする。一つの意見に揃えようとする。

 ところが自然は、生物は、もっともっと多様なんじゃよ。

 だから世界はちぐはぐで美しい」と会社の会議では通用しないだろうな意見だけど

 人間と自然の摂理を対比させる視点は説得させらてします。そして最後は

「会社で多様性を楽しめ!」とスッパリ締められてしまいました。


さすがに会社にツッパリくんはいませんが、価値観の違いのトレーニングが

学生時代に経験できたのはツッパリくんのおかげかもね。知らんけど。




ぶつけ合うのってエネルギー使うよな〜


     友禅の 見返り梅や 苔の路


燃えるゴミの日に捨てるならおじさんに頂戴いなと、お隣のお嬢ちゃんからいただいた本。

ミヒャエル・エンデ作「モモ」であります。

内容は知っていたが読んだのは初めてで、

小学校5、6年向けとなっているけど、十分に大人向けです。



浮浪児の女の子モモと

時間の国への案内係?のカメくん、カシオペイアが歩いているのは(どこにもない家)。

そこに幾千種類もの時計が飾られている大広間だ。

宝石のついた懐中時計、目覚まし時計、砂時計、

オルゴール時計、日時計、振り子の時計などなど。

星の時間をあらわす時計もある。

宇宙には特別な瞬間がときどきあって、

あらゆる物体、生物、はるか彼方の星々に至るまで、

たがいに働きあう瞬間にピカリと小さなヒカリを発するそうだ。

それは星の始まりの印か、終わりの印なのか

果たして特別な瞬間とは・・・


この本のイラストは作者ミヒャエル・エンデ自身のもので

なかなかのレベルでございます。



人が生きていることを表すための

物差しとしてあるのが時間。

その物差しにとらわれていると

時間どろぼうに盗まれてしまうよ、というお話。

あなたの時間を1日2時間節約して、貯蓄すれば

20年後に利子をつけて、その時間をお返ししましょう。

という実に巧みなタイム・ビジネスであります。

時間を欲望という価値にシフトしていく運びは

実に現代そのものだ。



この本を読んで思い出したのが、映画「TIME/タイム」。

人口過剰を防ぐために,遺伝子操作で25歳から歳をとらなくするため

時間が通貨となって自分の寿命を売り買いするという

「モモ」の時間どろぼうよりも怖い近未来の話だけど、

どちらも人間の欲望から生まれているというのが同じ。


永遠に生きたいという気持ちが

観念的な希望から現実的な欲望へと

シフトしていくのが人間のサガなんでしょうかね。


先日、お亡くなりになった高橋幸宏さんの主演映画「4月の魚」であります。

大林宣彦監督作品で、原作はジェームス三木の「危険なパーティ」。

オシャレに仕上げたラブコメディ。何と言っても高橋幸宏さんの

ファッションセンス満載で1980年代のスタイリングが今見ても新鮮です。



映画監督の役どころなので、ピケ帽と呼ばれる登山用の帽子をかぶっています。

小津安二郎監督へのオマージュでありますね。

ジャケットの肘に付いているのがエルボーパッチ。



インナーのニットをズボンの中に入れているのがミソ。

ニットのタックイン。痩せ型のスマートさんに似合うやり方だね。



ツータックのダボっとしたパンツ。腰回りがゆったりとしていて、

裾にかけて細くなっているのが特徴でペッグトップと呼ばれていました。



シャツもユッタリめで、襟のボタンを締めてしまうのがモードだね。

シャツの柄もエスニック調で当時のトレンドですね。



ダブルブレストのスーツでドレスアップ。

右側の人は泉谷しげるさんです。若いなぁー。



ボウタイ(蝶ネクタイ)を結んでいても、芸人風にならないところがセンスです。



当時流行していたMa1(アメリカ軍のフライトジャケット)風のブルゾン。

腰に巻いたニットがアクセントであります。



パンツはやはりペッグトップで、上半身はゆったり、下半身はやや細身で

Y字形のシルエットが80年代ですね。

履いている靴に注目です。



ポストマンシューズといって、プレーントゥの革靴なのですが

底がクレープソールになっていて疲れないのであります。

実際にアメリカの郵便局員さんが履いていた靴です。

カジュアルを革靴で締めるのがカッコイイ!スタイリングですね。



ホームパーティでの盛装も、タキシードやフォーマルスーツでは無くて

普通のスーツにボウタイといった

気負っていないところがグッドセンスですね。



カジュアルと同じようにY字型のシルエットで、ノーベントであります。



ベルトをしないでブレーシス(サスペンダーの英国読み)なのが盛装の基本ですね。



全身ホワイトでまとめたエレガンスなスタイリングです。

コットンのカーディガンとパンツ。

インナーはポロシャツでは無く普通のシャツ(多分)

靴も白(ホワイトバックスか?)でまとめています。



後ろ姿もいいですね。

カーディガンの

ブラウジング(カーディガンの裾をパンツに入れてウェスト部分に膨らみを持たす事)

が効いています。



エンブレム付きで左腕にはラインが入っています。

テニスウェアをイメージしている感じ。



レジの女の子に精算してもらいながらプレゼントを渡している。

なんて粋なんでしょう(キザかな)



おお!ポワゾン・ダブリル!(エイプリルフールの事)

魚の形をしたチョコレート。

これを贈ると恋愛が成就するという嘘をつくそうで。



ハイセンスなファッションと音楽をありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。





Eテレの「日曜美術館」でアンディ・ウォーホルの特集を観ていたら

その中で若手のアーティスト、ニーナ・アブニーの作品が紹介されていた。

現代のアメリカが抱える差別や分断といった社会問題を

ポップな表現で作品にしているのがいい。





ブラック・ライブズ・マター、同性愛など差別と向き合う視線がキュートに刺さります。





アンディ・ウォーホルの視点と手法に対する敬意あるコメントをしている。



白人警察官に殺害されたジョージ・フロストさんの事件をテーマにした作品。「Why?]

左端に白人警察官に囲まれた黒人が描かれている。



アンディ・ウォーホルの作品「人種暴動」にインスパイアされた構図だ。









「リアルなものをそのまま写されると、観る人は耐えられなくなるけど

 作品になると思考するための余白が生まれてくる」

と司会の小野正嗣氏が述べていたが、

まさにアートの役割というか力はそれでありますね。



        ゆらゆらと 岬の春に 小島かな