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これの続きです。
子宮体癌の術後、7日で退院した。
『広汎子宮全摘出術』で子宮も卵巣もリンパ管、リンパ節も取ったのにたった1週間で帰されちゃうんだ〜と不安だった。
歩くのも傷が痛くて身体を曲げながらでないと歩けないのに大学病院は、次から次と重症な患者さんが入院のベッドを待っているから仕方がない。
管が全部取れ、医療行為が無くなったら自宅で療養しろって事なんだな
退院前に婦人科の主治医がステージとグレードを話しに来てくれた。
『子宮の周りの筋肉や組織に浸潤は見られなかったが、リンパ管には少し見られたので、子宮と卵巣の他、リンパ管とリンパ節も取りました。
多分、見える所は全て取ったので、ステージは1bなんだけど、ただグレードが
3段階有るうちの一番顔付きの悪い腺癌G3なんで、転移が怖いので、抗がん剤を考えた方が良いと思います。』と話した。
私は、やっぱり抗がん剤を考えた方が良いのか〜( T_T)と少し憂鬱になったが、
そんな事でメソメソなんかしていられない、世の中には、生きたくても生きられない方がたくさん居る。(うちの父も45歳で胃癌、姉は22歳で直腸癌、主人も41歳で脳梗塞で皆んな亡くなった。)
たくさんの生きたくても生きられなかった方達を思えば弱音を吐いたら申し訳ない気持ちになる。
退院の時はタツヤ、みぃ、カオル、当時一緒にいたサクラを連れて皆でタウンエースで迎えに来てくれたのだ。嬉しかった。
退院後、2週間程経ち初めての受診でも主治医から
抗がん剤を勧められたので、『お願いします』と躊躇なく受けた。
手術が2015年9月15日
退院が2015年9月22日
受診が2015年10月7日
抗がん剤は2015年11月2日から、
3週間おきの6クールをやる事になった。
カルボプラチンプラス+
パクリタキセルの
2種類だった。
最初の抗がん剤は2泊3日、入院してやった。
1回目は、特に気持ち悪さとかは無かったが、お酒を飲んだ様に身体が火照ったのを覚えている。
それと何故かトンカツが食べたくなり、大学生だったカオルが、抗がん剤の終わる頃、病院まで来てくれて帰りに2人でトンカツを食べて帰った。
側からみると至って元気だった。
変化が有ったのは、2回目が終わってからだ。
その時のショックは忘れられない。
抗がん剤を打っていた当時、2018年6月に14歳で虹の橋に行ってしまったサクラに癒されていた日々だった。