本能のギャップ | 姫路 リフォーム モリシタ・アット・リフォームの社長 ヨシくんのたわごと日記

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進化心理学者の長谷川眞理子氏が書籍の中で、

「人間だけが、おばあちゃんという存在がいる」

と書いている。

 

動物世界では、メスは子供を生むのが役割で

ほとんどが閉経後に死ぬのが一般的だといい

おばあちゃんという存在がいないというのだ。

 

ましてや、死ぬまで生殖がある男性より

女性の方が長生きするのが現状だから

人特有の存在意義があるのだという。

 

ひとつは、人は子育てが他の動物より

手間が多く、長年かかるので、

子育てを助ける存在としての意義である。

 

そもそも人は子育てをしたくない動物であり

だから、おばあちゃんを作り出したのだから

今の少子化社会もやむを得ないのだともあった。

 

たしかにセックスを子作りより快楽と考えるし

(できちゃった婚などは、その冴えたるもの)

母性は子供ができて、はじめて感じるものだし。

 

そうなると親にとって子供はどういうものか?

積極的に子孫を残すという本能でもなさそうだし

それ以外の欲を充たす為にあるのかもしれない。

 

 

先日、飯田橋駅から靖国神社に歩いたとき

前からお受験で入ったような制服を着た小学生が

パパやママに手をつながれて歩いてきた。

 

「いいとこの子」が次から次へとすれ違う。

親はかなりのドヤ顔で、歩道の真ん中を歩いて

まるで、相撲取りを操るタニマチのようだ。

 

よく似た存在で、公園や街角などで

キレイに着飾った犬をつれるおじさんがそう。

通行人に目立つよう、これ見よがしに愛犬をだす。

 

すれ違う親子たちに「可愛い〜」と褒められたり

若い女性たちに、犬とじゃれあわせたりして

顔はドヤのドヤで、恍惚の笑顔を見せている。

 

まったく、子供と犬が一緒に見えた。

たんなる買い主の見栄や自己満足のために

存在しているように思えたのだ。

 

やり遂げられなかった親の自己実現なのか

着飾って自分の価値をあげようと思っているのか。

とにかく、買い主のエゴ感が漂っている。

 

そもそも生き物の本能的な目標や目的が

人のエゴによって塗り替えられて

そこからギャップが生まれてくる。

 

少子化は人口が減っていると言うことで

日本人が絶滅に向かっているともいえるが、

原因はこうしたギャップであろう。

 

もう、どうしようもない。

日本人は絶滅はしないだろが、

もっと人口的には衰退するだろう。

 

そもそもを忘れた

哀れな動物の末路である。