躁鬱病では「鬱のひどいのが躁」だと聞く。
躁の真反対が鬱ではなく、鬱の進化形なのだ。
進化とは、逆になったり、元に戻ったり、なのだ。
テレビで「タクシーが相乗りできるようにする」と見た。
以前、家を持たないアドレスホッパーが増えたといったが
これらも進化形のようで、時代が戻った気がする。
バリにいったときに、相乗りタクシーがあった。
すし詰め風景は乗発展途上国であればあたりまえで
日本はこれよりは進化していると思ったのだが。
家を持たず、旅をして、住みやすいところで住み
次なる理想の場所を求めて移動する人々がいたとしても
日本でもそれはかなり昔の話だったのではないか。
社会事情で、あれこれ進化しているのだが
その先には昔の風景がみえてくるのだ。
今日の新聞で東京の麹町中学が紹介されていた。
進化内容は、やりたい宿題だけさせ、遅刻しても叱らない
給食当番もやる気のある生徒がやればいいというのだ。
頭髪も服装も規定はなく自由で制限はなく
それぞれの家庭にあったものでいいのだという。
細かいことは言わず、個々の自主性を重んじるのか。
そのかわり、命、人権、犯罪は優先順位が高く
ここは厳しく叱りつけても理解させ
本来学校で教えることを進化させたいらしい。
イメージだが、まるで、昔の寺小屋のようだ。
自由に集まり、ルールでがちがちではない場である。
次の時代の考え方というより、昔のようである。
環境問題の「プラスティックを使わない」運動も
これからの時代への進化であるが
多くの店では、単に紙袋に戻っているのである。
どれもこれも、
いろいろやったが、やはり元の方がいい。
といったことであろう。
では、ネット社会はどうだろう。
これからの時代はIT関係しかないと誰もが言う。
もう、紙幣や会話はいらない。人さえも。
しかし、進化状況はどうであろう。
ネット炎上でSNSから離れる人もいるし、
もう、スマホを持たないという人もいる。
カードやスマホ決済も便利だが
この先、どこかのだれかにごっそり残金を奪われたら
やはり、現金か金だ!と物に戻るかも知れない。
だから、いまあるものは、おいておくべきである。
また、今いいことを辛抱強く継続することも大切である。
それこそが、次の時代での進化形だからである。